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 右手に触れていた暖かい感触が不意に離れて目を戻せば、まだ少し息の荒いエティがアスカから離れて廟の扉へ向かい合っていた。背の高い重厚そうな扉に据え付けられた装飾細かい取っ手に手を掛けて押すだけで、扉は内側へ動いた。

 「あれ、鍵が掛かってるんじゃ……」
 「鍵は俺だ」
 「エティさんが、鍵? じゃあこの前マシシが抉じ開けようとしても無駄だったって事ですか?」
 「知らん。 鍵穴のほうは鍵の存在しないブラフと聞いているが、万一の備えでもあるんだろう……もし俺が死んで、開かなくなったら事だからな」

 相変わらず自分の死すら何でもない事のように呟くエティへうまい言葉が返せないまま、アスカは重たい扉を肩で開けようとする彼の後ろから腕を伸ばして扉を押した。ギギィ、と古い木の軋む音とともにゆっくりと扉は開かれる。エティがランプの光を消したのに倣って、アスカも光を落とす。
 周囲を包んだ夜の帳が、室内の左右の壁で燈った燭台の光に再び払われた。手前から二つずつ、奥へ向かって順々に燈っていく蒼い灯りが、室内を冷たく照らし出してゆく。
 足元から最奥の大きな祭壇へと真っ直ぐに黒い絨毯が伸び、その途中で左右にも絨毯が分かれてそれぞれ部屋の端にある小振りな祭壇へと向かっている。床や壁と同じ滑らかな白い大理石を彫刻した大きな祭壇には何も乗っていないが、二十個前後の小さな祭壇にはそれぞれ小箱のようなものがひとつずつ乗せられている。
 古書店と比べればずっと小さな空間なのに、どこか雰囲気が似ているようにも思えた。けれど、暖かい灯の燈る古書店とは対照的に、ここは冷たい空気に満たされているように感じる。
 エティに付いて室内へ踏み入り、ふと見上げれば、壁から伸びた幾筋かの柱が天井の中心に向かって集まり、その間に嵌め込まれたガラス越しに夜空が覗いていた。

 「アスカ」

 声の方向を見遣ると、エティはひとつの小さな祭壇の隣に佇んでいた。

 「これが、基柱石だ」
 「!」

 小走りにエティの元へ近付き、祭壇の上、彫りや宝石で繊細に飾り立てられた金属製の小箱の中、濃紺のベロアの布に沈んだ宝石を見て、アスカは息を呑む。手のひらに収まるほどの大きさ、四角くカットが施された大振りの、サファイアだろうか。壁際で揺れる灯を内に宿して弾ける光は、ごく普通の宝石のそれとは違って見えた。安易に触れてはならない。そんな気がして、つい伸ばしかけていた手を黙って下ろす。
 壁際に沿って歩くエティが、隣の祭壇の前で立ち止まる。遅れてその隣に立って、同じように箱に収められた、丸いカットの紫色の基柱石を見下ろした。青い石に比べて一回り小振りだろうか、やはり受けた光が、まるで内側から沸いているように煌いている。
 また歩き出すエティの後ろに付いて歩く。今度は立ち止まりはせず、祭壇の隣を通りながら廟の中をゆっくりと歩く。全ての箱に基柱石が収まっているわけではないようで、空だったり収められていたりとまちまちだ。

 「この場所で受けた魔力を少しずつ吸収して、魔力が溜まったらまた人の姿に戻る。 一度肉体が死ぬ前までの記憶を持って」
 「どれくらいかかるんですか?」
 「それぞれ多少の差はあるが、平均しておおよそ十年前後だそうだ」
 「十年……」

 無意識に、自分の世界での暦に換算する。その年数が経った先、恐らく自分はもうこの世にはいないだろう、と考えてしまうと胸が締め付けられる思いがして、少し呼吸が止まった。
 住む世界が違うのだ。文字通りとしての意味でも、種族としての意味でも。長い長い年月を生き続ける彼にとって、自分と触れ合う時間など、通り過ぎてしまえば一瞬の記憶に過ぎないのだろうか。
 考えないように努めていた思いが心の中で首を擡げる。わかってはいるのだ。彼と自分とでは、住む世界が違うのだと。そのままの意味でも、生きる時間の長さも……。

 「同じ記憶を持って、て事は……みんな、この石の中に記憶を宿してるのかな」

 赤い石を見下ろすように立ち止まり、抑えたトーンで独言を零すアスカを、エティはそっと横目で盗み見る。

 「石が砕かれれば死ぬ、って籽玉が言ってたけど……その時、記憶はどこに行くんだろう」

 息を詰めたような気配がした。目を上げると、アスカを見つめて瞠られた蒼い瞳と視線が絡んだが、すぐに蒼玉は長い睫毛に伏せられた。

 「エティさん?」
 「……そろそろ、星が流れ始める。 出るぞ」

 向けられた背中が、それ以上問いを重ねるなと言っている。アスカは怪訝そうに眉根を寄せたものの、黙ってエティの後に続いて廟を出た。開いたときと同じ重い音を響かせて閉まった扉は、アスカが取っ手を押してみてもびくともしなかった。




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