「流星群、時間までわかるんですか?」
「籽玉がな」
「なるほど、占いで……っ」
空を仰いだアスカは廟から離れようとしていた足をぴたと止めた。その見開いた瞳を隣からちらりと一瞥してから、エティも空を向く。
月のように大きく眩い光から引いた蒼く長い尾が、澄みきった夜空の天辺を斜めに裂いていた。
「……彗、星……?」
薄く開いたままのアスカの唇から、白い吐息と共に短く言葉が零れる。廟に着いた頃には、確かにそんなものなかったはずなのに。
「いつも、あの彗星が流星群を連れてくるそうだ。 見ろ」
持ち上げられたエティの白い手が指した先、彗星のほど近くで、すい、と一つ星が落ちた。まるでそれが合図だったかのように、空のあらゆる場所でぽつりぽつりと星が流れ始める。
アスカは幾筋かを見届けた後首を下へ向けて辺りを見回し、廟から距離を取って徐に座り込んだ。そのまま躊躇いなく背中を草の上へと倒す。
「すげー、星が落ちてくるみたいですよ!」
無言でアスカの動向を目で追っていたエティが、その言葉に小さく息を吐いた。さくさくと草を踏む音がアスカの耳元へ近付いて止まり、星空を遮りながら真上から覗き込んだ顔には微かな呆れの色が浮かぶ。
「何をやってる……服が汚れるだろう」
「服は洗えばいいけど、流星群は滅多に見れないじゃないですか! ねっ、エティさん」
「……何だ、この手は」
「寝っ転がるとよく見えますよ? なんなら、俺が後でエティさんの上着も洗いますから」
エティは笑顔と共に差し出されたアスカの右手をじとりと見つめてから、そっと自分の手を重ねた。軽く腕を引かれるままアスカの隣に腰掛け、躊躇いがちに体を仰向けに倒す。
「……ただ見上げるのとは、随分違って見えるものだな」
「へへ、でしょ? 俺の世界にはプラネタリウムっていうのがあって、椅子を倒して夜空……って言っても作り物だけど、見上げるんですよ」
「誰と行ったんだ」
「えっ? 誰とっていうか、学校の行事で、です」
予想外の質問に戸惑いながら答えると、相槌もなくエティは黙ってしまう。横目ですぐ隣の顔を盗み見れば、蒼い瞳はじっと夜空を捉えたまま動かない様子だった。アスカも視線を天へ戻して、暫し彗星や流れ星を眺めた。
ふと、先程エティの手を取ったまま、指先が絡み合っている事に気が付いた。反射的にぴくりと手が動いてしまうが、もう一度エティの顔を伺っても、気がついていないのかぼんやりと空を見つめ続けている。
「……この彗星は、二つが対になっているらしい」
「対、ですか」
「ごく似たものがもう一つあって、周期の法則性は未だ見られないが、ほんの時々重なって二つ同時に観測できる時もある」
珍しくエティから話題を切り出してきたうえいつになく饒舌な様子に、アスカは内心で驚きながらもそれを声音に出してしまわないよう気を払いながら会話を続ける。
「エティさんは、一緒になってるところ見たことあるんですか?」
「ああ、昔に一度きりだが……その時はこれよりもっと星が降っていた」
「へえ……」
誰と?
ついさっきエティの口から零れたものと同じ質問が喉元まで出かかったが、それが音を持つ事はなかった。エティの過去に興味がないわけではない。ただ、尋ねてはいけないような気がするのと、勝手に想像した返答内容への恐怖が、問いを唇に乗せる事を強く拒んだ。
「彗星は流れ星と共に大きな魔力も連れてくる。 今も、月明かりとは比べ物にならない量の魔力が降り注いでいるはずだ」
「じゃあ、廟の基柱石にもたくさん魔力が注がれるんですか?」
「そういう事になるな」
へぇ、と軽く頷いて空へと目を戻す。彗星の位置が、視界の左下の方へ移動していた。
「星ノ宮っていっぱい星が見えるよなぁ……俺の住んでるところじゃこの四分の一も見えないんじゃないかな」
「この辺りは特に星がよく見えるらしい。 だから星ノ宮という……他の街も、お前の言うそこまで星が少ないわけではないだろうが」
「そうなんだ……星ノ宮……。 なんか綺麗な名前ですよね。 俺、好きです」
「……。 そうか」
短く返された声音に柔らかさを感じてまた隣を向くと、エティの口元が僅かに綻んでいた。その微笑に目を奪われていると、視線に気がついたエティが軽く咳を払って表情を戻す。
「もう一つの彗星っていつ来るんですかね?」
「……次の冬に訪れるそうだ」
「そんなに早く? 結構短い周期で来るんですか?」
「確かにはわからないが、その次に彗星が見られるのは少なくとも十年は先だ」
「そっかー……」
じゃあ、次のは俺も見れるんですね。
そう出掛かった言葉を飲み込む。言ってしまえば、エティと自分の間に流れる時の違いを、住む世界の差を、どうしようもないほど強く感じてしまいそうだったから。
これから先、学生という自由な身分を失えば、星ノ宮へ訪れる回数もきっと大きく減るだろう。そうなれば、時の流れの差は一層広がるのだ。残酷なほど。今足繁く星ノ宮へ通い、ふたつの世界を必死に繋ぎ止めているのが、全て無駄に思えてしまうくらいに。
ぶるり、と身震いした。外気だけでなく背中から地面へ熱を奪われ続け、坂を登って火照っていた体はすっかり冷えきってしまっている。そんなアスカに気がついたエティの指が手の中からするりと抜けた。触れ合う熱を失った指先が、やけに寒い。
「そろそろ戻るぞ」
「……、はいっ」
暗い思考の断片を振り切るように、勢いよく体を起こしてそのまま立ち上がる。遅れて立ったエティの手が、アスカの背中に付いた草や土をぱんぱんと払った。ありがとうございます、とはにかみながら、同じようにエティの背中も払ってやる。
「ね、エティさん。 次の彗星も一緒に見てくれますか?」
「……。 ……そうだな」
「……」
なるべく明るい声音になるよう努めたアスカの言葉にエティは何を思ったのか、頷くまでに間を要した。承諾してくれた。それなのに、心にじわりと燻る痛みは、引くどころか大きく増していく。
ねぇ、エティさん。
次もその次も……一緒に、見たいよ。
ふつふつと、胸の中へと想いが沸き上がる。
「……エティさん!」
アスカに背中を向けて来た道を戻り始めるエティへ、考えるより早く、大きく張った声を掛けてしまう。怪訝そうに半身振り向いたエティの瞳が、アスカのひどく思い詰めたような表情を捉えて、ついと斜め下へ逸らされる。
「俺、……その……」
「……戻るぞ」
エティはアスカの言葉を遮るように再び帰路へ向き直った。アスカはその背中へ追いすがり、エティの手を取って半ば無理に自分を振り向かせる。
「エティさん、聞いて! 俺、俺っ……エティさんの事」
「やめろ!」
「っ」
強く窘められて言葉を切った。懇願の色を帯びて濡れたように揺れる蒼い双眸が、アスカの瞳を囚えて離さない。震えた唇からか細い声が紡がれる。
「……やめろ……その先を言うな、言葉に……するな」
「何で……ッ」
俺の気持ちがわかっているの?
だったら、どうして?
相手の手を掴んだ自分の手を滑らせ、まるで彼に縋るように、細い手首へ指を絡ませた。
エティに心惹かれた事を自覚してから、目を逸らし続けていた疑念の蓋を、心の内でそっと持ち上げる。
「エティさん、好きな人いるんですか……?」
はっ、と見開いた瞳が逸らされた。
「……もう……いない、……いないはずだ……」
エティはゆるく頭を振るが、アスカには彼のそのぎこちない所作も声の震えも、問いへの肯定を意味しているとしか思えない。
「……忘れられない人なんですか」
「……」
低く押し殺した声での質問に、エティはただ顔を伏すだけで答えなかった。アスカは焦れたように、彼の手首を強く引き寄せる。
「俺……俺は、それでもエティさんの隣にいたい! 忘れられない人がいたっていいです、俺はそれでもエティさんの事が」
「言うな!!」
悲鳴を上げるように遮ると同時、エティはアスカの手を振り払った。自由になった右手で己の左腕をきゅっと掴む。
「……頼む……それ以上は言わないでくれ……」
「…………」
アスカには、掠れた言葉を呟きながら震える手で自分を抱くエティが、今まで見たどんな姿よりも小さく、儚げで、まるで今にも宵闇へと消えてしまいそうに見えた。
その痩躯をきつく抱き締めたいと、こんなに強く願った事はないのに。
振り払われた手をエティの肩へ回す事ができず、アスカはただ虚しくぶらりと腕を下げた。