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 間もなく琅玕を従えたエティが様子を見にやってきたが、彼はアスカの顔を覗き込むなりすぐに身を翻して階下へ降りて行ってしまった。相変わらず扉が開けっ放しのままの室内でまた一人になる。
 横になると随分と楽だ。座っている状態というのは存外エネルギーを使うものなのかもしれない、と考えながら、のろのろとネクタイを外して靴下も脱ぎ捨てる。制服のまま横になるのは皺などの観点からあまり好ましくはないだろうが、さすがに上下一式を着替える気力は今のアスカにはなく、せめてブレザーだけでも脱いだからいいか、と自分を納得させた。
 仰向けのまま目を閉じて半分眠りに落ちながら茫洋としていると、階段を上る二人ぶんの足音が聞こえてきて瞼を持ち上げる。
 部屋に入ってきたエティはサイドテーブルに盆を置き、琅玕が机の前から持ち上げてベッドの脇へ置いた椅子に掛けた。
 アスカはエティに差し出された細長い棒を受け取る。それがどうやらアルコール式の体温計らしき物に見えたので、シャツの首元から手を突っ込んで腋に挟んだ。

 「食欲は」
 「なくはない……です」

 壁の時計を見遣れば時刻はもうとっくに昼を回っていた。カウンターで時計を眺めていたはずなのに、昼にエティを呼びに行く事すら忘れていたと今更気が付く。普段なら腹が減って仕方ないだろうが、今は言われてみれば程度の空腹感を覚えるだけだ。

 「起き上がれるか」
 「? はい」

 体温計を落とさないように気を払いながら上体を起こして座った膝元に粥の入った皿を置かれる。目を丸くしてエティの方を見遣ると押し付けるように匙を渡された。皿とエティの顔とを見比べてからにへらと笑い、いただきますと手を合わせてから粥を口へ運ぶ。

 「んまい……」

 普段より随分と緩慢な動きながら積極的に匙を動かす姿をエティはじっと見つめたままでいて、皿の中身が半分ほどになった頃に体温計を出せと右手を差し出した。服の中から取り出してもアスカには読み方がよくわからず、目盛りを一瞥だけしてエティへ渡す。彼はその数値に細眉を僅かに寄せ、盆の横へ体温計をことりと置いた。

 「随分熱がある。 具合が悪いなら動けなくなる前に言わないか」
 「そんな言うほどじゃないかなぁって……ちょっと体怠くてあついなぁってくらいで……」

 何かを誤魔化すように曖昧に笑みながら返せば、エティの眉間の皺が余計に深まる。

 「そうか、お前の世界では動けなくなるほどになっても具合が悪いとは言わないのか」
 「……言いますけどー……」
 「けどもだってもない」

 ほんの少し、だがエティにしては大分強まっているのだろう語気で窘められ、アスカは笑みを引っ込めてしゅんとした。匙を繰る手が止まった事を、いいから早く食べろと皿を指すエティの手振りだけで指示される。

 「エティさん……怒ってます?」
 「心配しているんだよ、アスカ」

 眉を下げておずおずと小さく問うと、無言でいるエティのかわりに傍らの琅玕が答えた。エティはそれを否定するでもなく、上目遣いで伺うアスカから視線を逸らしたまま押し黙っている。

 「……すいません……」

 ぽつりと呟くと、少しペースを早めて粥を胃に収めていく。治まっていた目眩がじわじわとぶり返し始めた頃に全て食べ終えて、空になった皿をエティへ返した。

 「ごちそうさまでした。 美味かったです」

 エティはそれにも特に何も返さず、盆に皿を戻した代わりに小さな白い包みを取り上げた。アスカは見覚えのあるそれに、シイラの薬屋で度々嗅ぐ漢方のような香りを思い出す。

 「それシイラの薬ですよね? 苦そうだけどよく効きそう」
 「買い置きだから効力は普通の薬と変わらない」

 エティが綺麗に折りたたまれた薬包紙の口を開けて軽く振ると、微かにサカサカと音が聞こえた。

 「!」

 錠剤かと思いきや粉薬だ。
 そう気が付いた瞬間、アスカはぎくりと顔を強張らせる。

 「エティさんっ、あの俺、薬飲まなくても風邪なんてすぐに治りますから大丈夫です……よ?」

 アスカの引き攣り笑いに全てを察したのだろう、エティは右手に薬包紙を持ったまま椅子を立ってベッドに片膝を付き、左手でアスカの肩を掴む。

 「口を開けろ」
 「えっ、ちょっと、ちょっと待ってエティさん、おぶっ……オブラートとかっ……」

 急な接近と粉薬への恐怖に狼狽するアスカは咄嗟にエティの左手を掴んで退け、半身に掛かっていた布団を跳ねのけて後ずさる。

 「そんなものは無い。 要らん」
 「要らんってことは知ってるよね!? オブラートこの世界にもあるんでしょ!? ヤダヤダヤダ!! ちょ! 自腹、自腹切るから! 自分で買ってくるから!! 文明の利器! 使いましょ、ねッ!?」
 「……琅玕」
 「は」

 エティからちらりと目配せを受けた琅玕はひとつ頷いて手早く靴を脱ぎ、ベッドに登ってアスカの後ろへ回り込んだ。

 「すまない……アスカ」

 しゃがんで心底申し訳なさそうな声で短く呟いてから、アスカの両腋の下から腕を回してはがいじめにする。

 「ちょ、琅玕……琅玕!? 力強ッ……頼む離し、離してっ、俺マジ粉薬はダメでぇえ!!」

 肩を振るって振り解こうとしてもびくともせず、本気の力を加えて抵抗を試みても、琅玕の腕すらほとんど動かすことができないどころか、更に両手で頭まで掴まれ前を向いたまま固定されてしまう。喚いているうちにエティの左手が再び伸びてきて、アスカの口へ親指を突っ込んで頬を引っ張るように口を開かせる。さすがにエティの指を噛んでしまうわけにもいかず、アスカはただひたすらに喚きながら、訴えるような眼差しで彼を見上げた。

 「うえっ!? ひょ、まっへ! えひーひゃんまっ……~~~~ッ!!!!」

 口内へ無慈悲に注ぎ込まれた粉が味蕾を刺激し、そのえぐみを伴う苦味に声にならない声をあげたところでようやく拘束が解かれた。盆の上の水差しからグラスを外して持ち上げ、直に口を付けて中の水を一気に煽った。
 細身のペットボトル程度の量は入っていただろうか。空になった水差しを戻し、涙目でぜえぜえと息をして、横向きにへなへなとベッドへ沈み込む。座ってすらいられないほどの強烈な目眩。呼吸が弾む。

 「無駄に喚いて体力を使ってどうする……今日のところは安静にしているんだな」

 薬包紙を屑籠に捨てるエティへ言葉を返す気力もなく、ただ目を瞑ったまま微かに頷いた。




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