上着を羽織って外へ出る。陽のささない曇り空、風はないものの、いよいよ冬の本番を感じさせる冷え込みには身震いしてしまう。
箒を浮かべて柄の先に立った琅玕の後ろに恐る恐る座った。両手で柄を握ってはいるが、両足が地面から離れるとぐらついて傾き、片足をつけてしまう。
「やべ、これ、バランスが……籽玉が簡単そうに座ってたけど、難しいんだな」
何度か試しても一向に安定感を掴めないアスカを見兼ねた琅玕が立ち乗るのをやめ、アスカと同じように前を向いて箒に跨った。
「おれに掴まって」
「おっ、これなら平気かも!」
アスカは柄から両手を離し、琅玕を後ろから抱えるように腰へ腕を回す。地面から両足が離れても引っくり返りそうにはならない。声を明るくするアスカに、琅玕は少しだけ頬を染めてくすぐったそうに笑った。
「飛ぶよ」
琅玕がアスカの胸へ凭れるようにして後方へ体重を移すと、斜めに傾いた箒が前進しながら高度を上げる。マシシの絨毯よりもかなり速く、風を切る速度で上昇していく。瞬く間に、落下でもしたら到底助からないであろう高度へ至り、子供の体格である琅玕にしがみついているだけの状況にアスカの不安が強く煽られる。
「うう……落っこちそう……」
「落ちたら拾い上げるから、大丈夫」
「えっ? う、うん?」
琅玕がさらりと口にした言葉に、アスカは自分の腕よりも華奢な少年の細腕を注視する。その拍子に遥か下界の景色が目に入り、縋る思いで琅玕へ抱き付く腕の力を増した。硬めの髪が顔を擽り、冷たい風が頬を打ち付ける。
足下の流れる風景を恐々眺めていると、程なくして市場の上空へ着く。前方に重心を傾けて降下しようとしたところで、一羽のカラスが箒に併走してきた。
「梨山」
箒を止めた琅玕が持ち上げた右腕に、梨山と呼ばれたカラスが留まる。
「りーしゃん……? 懐いてるなぁ、琅玕のペットとか?」
「似たようなものかな……冬になると、時々こうして餌をねだりに来るんだ」
琅玕が左手で鞄から取り出した箱からドライフードのような餌を右手のひらに出し、梨山がつつく。その右脚で何かがちらりと光を反射し、よく目を凝らすと、細密な装飾が施された金属製の小さな筒が取り付けられているのが見えた。
「あっ! もしかしてこの前マシシが言ってた伝書烏って!」
「ああ……この間、三人が廟へ行っていたのをエティに知らせたのはおれなんだ。 梨山を使って。 アスカは何も知らないようだと手紙に書きはしたんだが、随分怒られたとマシシから聞いた。 すまない」
「や、いいんだ。 鍵こじ開けようとしてる時点で俺もやばいんじゃないかなーとは思ってたしさ」
残らず餌を食べ終えた梨山が琅玕の腕から羽ばたき、遠くへと飛び去っていく。
「行っちゃった。 カラスって人に懐くんだなぁ」
「待たせた。 降りよう」
琅玕が箒を降下させ、二人は大通りから一本外れた路地へと降り立った。琅玕は鞄から手帳と万年筆を取り出し、何かを書こうとして手を止め、二つをアスカへ渡す。
「すまない、アスカに買って来て貰いたいものを言うから控えて欲しい」
「あ、うん……書いて貰っても読めないもんな……」
自分へ情けない気持ちを感じながらも、琅玕が挙げる食材を手帳へ記していく。主に野菜類を任されるようだ。書き終えた手帳を受け取った琅玕が頁を千切り、財布から取り出した数枚の硬貨と共にアスカへ手渡す。
「じゃあ頼んだ。 待ち合わせは買い物が終わり次第またここで」
「あの、琅玕」
「ん?」
「ピーマン使うの?」
半笑いでの質問に、琅玕はぱちくりと瞬いた。何か返されるより早く、アスカは顔の前で手を振って琅玕へ背中を向ける。
「や、何でもない! じゃあまた後でな!」
首を傾げる琅玕を残し、足早に市場へと歩き去る。
***
エティから度々一人でのお使いを任せられるようになって、食料品の買い出しには随分と慣れた。特に問題もなく、メモに記された通りに買い物を終える。
路地へ戻って暫し待っていると、両腕に一つずつ、大きな紙袋を抱えた琅玕が戻ってきた。
「すまない、待たせた」
「凄い量だなぁ……もうちょい手伝えたらよかったな」
琅玕は紙袋を地面に置き、肩から鞄を下ろして布釦を外して蓋を開く。買い物袋の一つよりも鞄の方が容積が少ないように見えたが、アスカの腕から受け取った野菜の詰まる袋がすっぽりと収納され、他の二つの袋も容易く詰め込まれた。
「その鞄って魔法道具? マシシの魔法みたいだなぁ。 いいな、俺もそういうの欲しい……けどあっちの世界じゃ使えないんだよな」
「そこまで便利でもない。 無限に入るわけではないし、入れた物の重さはそのままだから」
「へぇー……んじゃ相当重いだろ、俺が持つよ」
アスカは蓋を閉じた鞄の肩紐を取り、持ち上げようとして、予想を遥かに超えた重量につんのめる。
「お……!? 重いって次元じゃないぞ…!?」
改めて地面に足を踏ん張り、両手で肩紐を引っ張ってようやく鞄が持ち上がる。それでもすぐにぶるぶると腕が震え、鞄の底が再び地面に触れた。
「鍋やら調理器具も入れたままだから……他にも色々と」
肩紐を受け取った琅玕が、片腕だけで軽々、まるで中身など入っていないかのようにひょいと鞄を持ち上げて肩に掛けた。
「……重いのに、鞄の紐、よく切れないな」
引きつり笑顔を浮かべるアスカに、琅玕は冷静に頷いた。
「それはおれも思う」