:: RM>>01-04




 入って来た時は机にばかり気を取られていて気がつかなかったが、カウンターの背後の壁には扉があった。潜った先は居住スペースのようで、入ってすぐのダイニング、六脚の椅子に囲まれたテーブルの端に着かされたアスカは延々と少年――エティ、と彼は名乗った――に質問攻めにされていた。
 どこから来たのか。どんな世界か。平和なのか否か。平均寿命は。魔法の有無は。名前、年齢、職業、高校とは何か、誰かと一緒に暮らしているか、家族構成、友人関係、等々…。
 とにかく一切の間を置かずに続く問いに答え続けていたため、所在無さげな両手に包まれたカップの紅茶は一度も口をつけられないままとうに冷め切っている。
 注いで貰ってから一時間は経ったように思えた。ダイニングにアスカを通す時にエティは確かに自分がこの古書店の店主だと名乗ったが、それが本当なら店の方はいいのだろうかと余計な心配が頭を過ぎって、質問が止まった事に気が付く。

 「……わかった」

 納得を意味する言葉とは裏腹に、腑に落ちない、と頬に書かれたような表情のままエティは呟いた。
 アスカはようやく収まった質問の嵐に安堵しつつ、喋りっぱなしで乾いた喉に一気に紅茶を流し込んだ。

 「うま……」

 冷めているものの口内に広がる香りがあまりに好みで、思わず呟いた。今まで口にした事の無い味だが、そもそも日常で紅茶を飲む機会自体が殆ど無いアスカにはこれがどういった紅茶なのかもよくわからない。
 ティーポットを持ってエティが席を立つ。すぐ背後のキッチンで湯を沸かす器具は、薬缶もコンロもアスカの見慣れたそれらとは微妙に形が異なっている。

 「そんで、あの……魔法、って何なんですか?」

 点火する摘みの見当たらないコンロにエティが手を翳すと、唐突に火が点って薬缶の底を舐めた。

 「……魔法は魔法だ。 他に説明のしようがない」
 「今、火点けたのも魔法?」

 アスカも椅子から降りてエティの隣に立ち、コンロのようなものを色々な角度から眺めてみる。ガスのチューブも電源コードも見当たらず、どこから火力を調達しているのか、その外見からは全くわからない。

 「これは魔力を与えて使う魔法道具だ。 自分の中の魔力を、手や足を動かすのと同じように使うのが魔法……そうだな、実践が一番早いか……」
 「実践? ……うわっ危ねッ」

 エティが何か物を持つような形をつくった右手を差し出すと、奥の部屋から本が一冊飛んできた。アスカに当たるすれすれを掠めて、エティの掌に吸い寄せられるように背表紙が掴まれる。
 本を手渡され、アスカは両手で恐る恐る受け取る。表紙や背表紙、中を開いて調べてみても、店内に星の数ほどあった本と同じ、読めない字で綴られた古い洋書にしか見えなかった。

 「浮かせてみろ」
 「はい!?」

 それくらいなら簡単だろうと言外に含ませて、エティはキッチンに向き直ってしまう。
 アスカは戸惑いつつ、とりあえず言われるまま同じようにやってみようと本をテーブルに置いてその上に両手を翳した。深呼吸をして、本に向かって念を込める。……ような気になってみる。

 「――浮けッ!!!!」

 …………。
 ぴくりとも本は動かず、大きな声で口走った気合いが掻き消えた後、短い沈黙がダイニングに流れた。

 「……別に口に出す必要はない」
 「……ッ」

 背中を向けたままのエティの呟きに我に返って首まで真っ赤になる。
 もう一度、と今度は口を引き結んで念を送ってみたが、やはり本は少しも動かなかった。

 「……エティさん、すっげえ今更だけど、俺の事からかってたりとかしないですよね……」
 「お前をからかって俺に何の得がある」

 湯を注いだティーポットを持ってエティが振り返る。両手を翳すアスカと全く動く様子の無い本とを見比べて、心底呆れたようにため息をひとつ吐いた。

 「うう……。 こっちの本でもやってみていいですか……?」
 「そっちは触るな」

 テーブルの隅に除けられていた青い本に手を伸ばしかけたアスカを、エティが強めの口調で嗜めた。

 「その本は人の魔力を吸う。 体を壊したくなければやめておけ」
 「……つまり、さっきエティさんはこの本に魔力を吸われてたって事?」

 エティは黙って頷く。

 「もし誰も来なくて、あのままだったらどうなってたの?」
 「最悪死んでいた」
 「いっ!?」

 何でもない事の様に言い放つエティの言葉に、アスカ伸ばしかけていた手を大げさに引っ込めて青い表紙を凝視する。
 よくよく見れば、そうでなくてもこの本は異質だ。表紙には細かく編まれた鎖といくつかの小さな宝石によって、本に対するものとしては過剰なほどの装飾が施されている。そのまま本棚に仕舞われるより、インテリアとして飾られている所を想像した方がずっとしっくりくるような。

 「手で持ち上げるのと同じ感覚でやってみろ。 ……こんなふうに」
 「わ、すげぇ」

 エティが抱えていたティーポットから突然手を離した。ポットは落ちる事なくふわりと浮いて、見えない誰かの手に動かされているかのように宙を移動し、二客のカップに紅茶を注いでテーブルに落ち着いた。

 「それと、立っていようが座っていようが変わらないから座れ。 鬱陶しい」

 椅子に掛けて腕と足を組むエティに促され、アスカも席に戻る。

 「手で持ち上げる……」

 少し考えて、アスカは本に意識を集中しながら、右手で何かを掴んで持ち上げるような動作をしてみた。すると微かに、震えるように本が浮かびかけてはテーブルに戻って、パタタと音を立てる。

 「あっ!? 見て見てエティさん、でき……」

 興奮の余り気が逸れたのと同時に、本はぴたりと動くのを止めた。

 「……てない」
 「……」

 がっくりと肩を落とすアスカから視線を外し、エティが何か思案するように口元に手を当てる。

 「でも、でもちょっと動きましたよね? ねっ? 見た?」
 「……ああ」
 「本当に動くんだ……。 練習すればちゃんと出来るようになんのかなぁ……?」
 「……」

 感慨深そうに自分の右手を眺めるアスカへ視線を戻して、思い出したように口を開く。

 「お前、自分から「魔法」という言葉を口にしたな」
 「あ、はい。 俺の世界?では、信じらんないような……何だろ、夢みたいな事を「魔法みたい」って言うんですよ。 実在しない事の代名詞。 魔法って単語はあるにはあるけど、それは物語の中だけの話……だと思ってた」

 エティがテーブルに頬杖を付いてアスカの黒い双眸をじっと見つめる。アスカの語り口には少しずつ熱が供っていく。

 「子供の頃はさ、一度はみんな、物語の中で色んな奇跡を起こす魔法に憧れるんだ。 でもそんなの無いんだって、大人になるにつれて当たり前に気付いてく。 勿論、俺もそうだった。 だから俺……今なんかすっげえ嬉しくて。 まだ「夢かもしれない」って思ってるけど、夢じゃなきゃいいのにって……夢なら、醒めなきゃいいのにって。 ……はは、恥ずかし。 何言ってんだろ俺」

 向けられた視線に気が付いたアスカが照れくさそうにはにかんで頭を掻いた。エティは目が合うのと共に視線を外し、面白くもなさそうな顔を作って短く息を吐く。

 「なにが大人になるにつれて、だ。 マセガキめ」
 「ん〜? まあね、どっちかって言うと高校生はまだ子ども扱いですけどね……」

 どう見てもそっちの方が年下じゃないか、とは思えども、口には出さず心の内に仕舞い込んだ。ほとんど表情の変化も無い落ち着いた素振りを見ていると、そう揶揄するのは何かが違うような気がして。
 苦笑で返すアスカを一瞥して、エティは頬杖をついたままティーカップに口を付けた。倣って、アスカも温かい紅茶を口に含む。

 「……気が済むまで練習して行けばいい。 どうせ今日はもう店じまいだ」



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