頭の中でいつまでも絨毯の金額をぐわんぐわんと反響させながら、マシシと共に市場の端から徒歩で古書店へ戻る頃には辺りはとっぷりと暮れていた。
店は閉められ、ダイニングでエティが三人分の紅茶を淹れていた。それらはアスカとマシシへでなく、二人が帰るより早く再び古書店を訪れていた双子の前に提供される。
「お、琅玕いい所に。 ちょっとさぁ」
「これでしょ」
帽子を外そうとして止めながら琅玕へ声をかけるマシシを遮り、籽玉が握った右手を突き出して赤い指環を渡す。エティの隣に腰掛けてそれを視界の端に捉えたアスカの顔へ、失っていた生気がみるみるうちに戻って来る。
「それ絨毯の指環!?」
「對阿、暴走してたのをぼくが体を張って回収したんだから。 感謝してよね?」
「籽玉が? あああ助かったぁ」
情けなく声を震わせながらアスカはへなへなとテーブルに突っ伏した。帰りしなに散々脅された、エティの元で働いたぶんは全額返済に回させるだの、一生自分の下でこき使ってやるだのという文言の数々が、重く圧し掛かっていた肩から霧散していく。
マシシは籽玉ではなく琅玕の方へ軽く手を挙げた。
「悪りぃな。 借りは返す」
「いや」
マシシへ短く返しながら紅茶を啜る琅玕の袖を横からくいくいと籽玉が引く。
「ねえ琅玕、ぼくお腹空いた。 ご飯つくって? アスカにも振る舞えて丁度いいでしょ」
「俺に?」
「琅玕、迷惑掛けたから何か作って持って行くって市場でいっぱい食材買ったんだよ」
琅玕に気を遣わせた張本人は何ひとつ悪びれた様子も無く、寧ろ得意げである。
「へえー……気にしなくていいのに」
そう言いつつも、先日食べた琅玕の手料理を思い返してアスカの口内にじわりと唾液が分泌される。年頃のせいもあってか、味の濃い肉料理というものには食欲が唆られてならないのだ。
「使っても構わんが」
「いえ、折角ですが鍋や道具も足りないので……」
そんなアスカの緩んだ表情を横目で見てエティがキッチンを指したが、琅玕は丁寧に断りを入れた。
「可惜、琅玕のご飯は出来たてが一番美味しいのに……そうだアスカ、今度食べにいらっしゃいな。 ね、琅玕」
「いいのか?」
「ああ、是非に。 宜しかったらエティもいらして下さい」
我関せずとばかりに手元の本に目を落としはじめていたエティは、聞いているのかいないのか、琅玕の誘いに小さく頷いた。
「マシシもぉシイラを誘って来ていいよぉ?」
「あ?」
口元に袖を当てねちっこく煽るように言う籽玉を、マシシが片眉を跳ね上げて睨め付ける。籽玉は気に留めたふうもなく、さっさとと興味と視線をマシシから外した。
「でもそうなるとうちじゃ卓に椅子が足りないね」
「……道具を持って来ればいいだろう。 此処なら丁度椅子が六脚だ」
本から視線を上げずに呟くエティに、籽玉が首を傾げて愉快そうに笑む。
「おやまあエティったら……アスカの歓迎会にはうってつけというわけだね? 少し遅れてしまったけれど?」
「……いいだろう、たまには」
エティは籽玉が強調するように勝手に付け足した言葉を否定するでもなく曖昧に頷き、それを聞いたアスカがぱあっと顔を輝かせた。
「え、エティさん……!!」
思わずエティの持っている本を取り上げてテーブルに置き、空いた両手を自分の手で纏めて包み込む。
「わっ大胆」
「……」
籽玉が両袖で口元を覆う横で、マシシは面白くなさそうに目を細め、背凭れに体を預けてむっすりとした顔で腕を組んだ。
「……離せ」
「俺のこと、そんなに歓迎してくれてたんですか!?」
命令を聞き入れないどころか、却って掴む力を強くして相手の手を引きながら体を寄せると、エティは斜め下へと顔を逸らす。
「ねえ、それはアスカ死んじゃうんじゃない?」
軽く笑いながらの籽玉の言葉を怪訝に思い、急に影のさした自分の頭上を見上げるより僅かに早く、シェルフから取り出された無数の本がアスカの頭上に降り注いだ。