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 双子の家を後にして岐路を辿っている途中、左手に折れれば古書店へと通じる十字路に差し掛かる手前で林の中に白いものを見つけ、アスカは歩調を緩めた。道から外れて土を踏みながら近寄り、太めの木と木の間に抱かれるようにして座り込む籽玉の傍まで近付いていく。

 「指大丈夫か?」
 「……うん」

 木の幹に片手をついて見下ろすと、籽玉は抱えた膝に埋めていた顔を少し上げて小さく頷いた。持って出た肩掛けはきちんと身に着けられているが、首元で留める細い革紐は縦結びになってしまっている。

 「どした、あんな取り乱して。 茶器割っちゃって琅玕が怒ってるって思ったのか?」
 「……うん……」
 「本当に?」
 「…………」

 なるべく柔らかい語調になるよう努めた問いに、籽玉はのろのろと首を横に振った。

 「……確かにあれは大事にしていたものだけれど……琅玕はそんな事で怒らないよ」
 「だよな。 籽玉だってわざと割ったわけじゃないもんな」
 「朝の事だって、いつもなら琅玕が怒るような事じゃない……でも……でも何か怒ってる。 わかるんだ、ぼく」
 「わかる……?」

 籽玉は吹き付ける風に自分の体を抱くようにして縮こまりながら、こくんと頷く。

 「琅玕、最近ずっと何か怒ってる。 ぼくのことで怒ってる……琅玕が焼きもちやく事したって、前までは、ぼくが琅玕ぎゅってすればすぐ怒らなくなったのに……」
 「……焼きもち?」 
 「……わからない……冷静にならなきゃ……。 アスカ、少し……一人にして」

 最後には彼の口からは聞いた事がないほどか細く絞られた声で呟きながら立ち上がり、ふらふらと道のほうへ出て行く。心ここにあらずとはこの事かと過ぎるほど危なげな足取りに、彼を一人にしていいとはどうしても思えなかった。アスカは距離を取りつつ自分も石畳の上へ戻って、後ろをついて歩く。十字路の真ん中に差し掛かった辺りで籽玉は立ち止まり、俯いていた顔を勢いよく上げた。

 「……琅玕!!」

 悲鳴のような声でそう叫ぶと市場の方向へ走り出す。その尋常ではない様子を見て、アスカも咄嗟に駆け出した。存外足の速い籽玉に追い付く頃には市場へ抜ける道の前を通り過ぎていた。そのまま廟の方角に近付くにつれて、周囲から民家の姿が消えていく。

 「籽玉、どうしたんだよ!? 琅玕に何かあったのか?」

 斜め後ろを走るアスカの問いには答えず、籽玉は全力疾走を続ける。
 アスカは仕方なくそのまま付いて走っていると、廟へ続く丘に差し掛かる麓のあたり、背の高い木の傍で地面に横向きに倒れ込んでいる琅玕の姿が目に入った。籽玉はそのすぐ傍にしゃがんで琅玕の体を仰向けさせるが、眉間に微かな皺を寄せて目を閉じたまま反応はない。こめかみからは血が滴り、頬に走った大きな擦り傷からも血が滲んでいるほか、髪や衣服、側に落ちている箒に細かな枝葉が絡んでいる。

 「やだ……っやだ!! 嫌だよ! 琅玕、も、置いてかないって言ったじゃない!! 起きてよ、ねえ琅玕!!」
 「籽玉! 揺すっちゃ駄目だって!」

 半狂乱で喚き散らしながらがくがくと琅玕の肩を揺する籽玉を半ば無理やり引き剥がしていると、上空からばさばさと羽音が聞こえてきて、見上げたアスカの腕に一羽の烏が留まった。赤い瞳と右脚に括られた金属筒。梨山だ、とすぐに気が付く。嘴でアスカの袖をつまみ、ぐいぐいと引っ張る姿は何かを催促しているように見えた。

 「……手紙? 書けって?」

 心に浮かんだ言葉をそのまま問い掛けてみれば梨山の催促は止み、ただじっとアスカの腕に留まり続ける。伝書烏として自分を使えという事なのだろうか?しかし、アスカにはこの世界の文字を書く事はできない。黙ってただ呆然と琅玕の隣に座り込む籽玉の肩を揺らす。

 「籽玉、シイラに手紙を。 籽玉!」
 「駄目だよ……今日はシイラ、起きてない……」
 「起きてない? 何だよそれ?」
 「……どうしよう……琅玕……琅玕が……」

 もう一度肩を揺すっても、籽玉は俯いたまま譫言のように琅玕の名前を繰り返すだけだった。アスカは肩から離した手を持ち上げ、籽玉の頭目掛けて振り下ろす。
 スパン!と乾いた音が響いた。籽玉は打たれた頭を両手で抑えながら、両目をいっぱいに見開いて呆然と見上げてくる。

 「しっかりしろ! 今痛いのは琅玕なんだぞ!!」

 言葉を失ったままアスカをじっと見つめるその表情が一瞬泣き顔に歪みかけたかと思うと、次の瞬間にはいつもの強気な瞳に戻っていた。大きく頷いて琅玕に向き直り、肩から紐を外させた鞄の中から手帳と鉛筆を取り出す。さっと筆を走らせ短く何かを綴った頁を破り、アスカの腕に大人しく留まっている梨山を呼ぶ。

 「来」

 素直に従うかのようにアスカの腕から飛んだ梨山を自分の左腕へ留まらせ、右手で筒を開いて丸めた手紙を収めた。

 「エティの所へ」

 短く命を受け、梨山はすぐに籽玉の元から羽ばたいた。強風吹き荒れる上空へ羽をめいっぱいはためかせて飛翔し、風に強く煽られながらも古書店の方角へと飛び去って行く。

 「この風の中で大丈夫か……?」
 「あれは賢いから大丈夫。 ……琅玕の怪我も、そこまで大事はないと思う。 エティへはこの事とアスカを借りる旨を書いたから……家まで琅玕を運んでもらっていいかい? ぼくは鞄と箒を持つから」

 真っ直ぐアスカを見上げる籽玉の瞳は強い光を取り戻しはしているものの、それでも泣き出したいのを堪えているように見えた。さっき叩いた頭を今度はわしわしと撫でてやる。

 「わかった。 おんぶが一番やりやすいかな」
 「知道了。 しゃがんで……」

 籽玉からの補助を受けながらなんとか琅玕を背負って、体の前で交差させた手を握りながら立ち上がる。いくら自分より小柄な少年だからといってそう長く背負えるとも思えない重量だったが、ここから双子の家までならなんとか運べない事もなさそうに思えた。

 「鞄、持てそうか?」
 「今日はそんなに重たくないみたい……ぼく頑張るから、アスカは琅玕を……お願い」

 それでも重量はあるのだろう、籽玉は弾みをつけて両腕で鞄と箒を抱え上げる。それでも強気な顔色を変えない殊勝な態度にアスカもひとつ頷くと、なるべく琅玕の体を揺すらないよう注意しながら双子の家へ戻る道を踏みしめた。




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