「っあ~、終わった! 明日は筋肉痛かなぁ」
全ての雪が退けられて顕になった石畳を左右に見回し、端に避けた雪へスコップを立て、アスカは腰に両手を当ててぐっと伸びをした。
「若けぇ奴がナニ言ってんだ」
足元が陰ると共に頭上から掛けられた声に空を見上げると、絨毯に乗ったマシシがアスカの目の前に降下してくるところだった。その隣にちょこんと座ったシイラがほにゃほにゃと緩いいつもの笑顔をアスカへ向ける。
「ごくろうさまぁ。 たいへんだったねーぇ?」
「シイラ。 エティさんに何か用事か?」
「ううん、かおをみにきただけだよぉ。 すこしおじゃまするねーぇ?」
先に絨毯から降りたマシシから伸ばされた手を借りて、シイラも雪が退けられたばかりの石畳に立った。シイラはあまり薬屋から外に出る事がない、とエティからちらりと聞いた事がある。これはきっと珍しい事なのだろうと、アスカは瞬いて曖昧に頷いた。
三人連れ立って古書店のダイニングに入ると、キッチンに立っていたエティが無言で生姜をひとかけら折って小振りな包丁で皮を剥きはじめた。それをカウンターの上、小振りなおろし金の上でひとりでに踊っていた生姜の隣に置くと、同じように動き出して勝手に摩り下ろされていく。
「道、後で整備の連中が直しにくるってよ。 多分勝手にやるからここに訪ねては来ねーと思うけど」
「そうか。 ……わざわざご苦労だったな」
「……ナニ急に? アンタそう言うこと言うタイプだっけ?」
マシシは一拍呼吸を止めてから、信じられないものを見たような顔でエティを凝視する。微笑ましげにくすくすと笑むシイラにエティは咳払いをして、それぞれの前にティーカップを一脚ずつ置いた。
生姜の香るカップに口を付けて一口啜ると、既に甘い味が付いていてアスカは少し驚いた。同じように、マシシも一口含んで口を離し、カップを覗く。
「ジンジャーティーに蜂蜜……これお前が教えたの?」
「うん、ずいぶんまえにねーぇ?」
「ふーん」
マシシに問われたシイラがどこか嬉しそうに笑みを深め、再びカップに口を付けるマシシをにこにこと見つめた。そんなシイラを一瞥してふいと目を反らしはするものの、見つめる視線を自然に受け入れるマシシの態度。アスカにはやはり、以前にマシシが言っていたように、彼がシイラを心の底から苦手と思っているふうには見えなかった。
いつになく和やかな空気の中で他愛もない話を弾ませていると、けたたましい音がその雰囲気を破った。表の扉が勢いよく開け放たれた音だろう。一斉に視線が集中したダイニングの扉もすぐに外から開かれ、籽玉が一人でずかずかと入り込んでくる。ほんの一瞬だけその表情が曇っているように、涙を堪えているようにも見えたが、四人を見るや否やぱっと笑顔に変化して、主にアスカへ向かって笑みかけてきた。
「你好! やー凄い雪だね」
「お前が雪の日に出て来るなんて珍しいじゃん。 明日は夏日にでもなんの?」
「この後またちらちら雪が降って明日も冷え込むよ。 灯笼が点かなくなったから直してもらおうと思って。 あ、ぼく生姜の紅茶飲めないから要らないよ」
籽玉はマシシの茶化す声に淡々と返し、席を立とうとするエティを制しながらアスカの隣の席に座る。片手に携えていた、細かな彫りの入った黒い木枠に赤い火袋と房を持つランタンをマシシの前にごとりと置いた。
「お前この前から物壊しすぎじゃね? オレは金になりゃ別に構わねーけどよ」
「ちょっと力加減を間違えただけだもん」
マシシはランタンを手に取り、戸のようになっている火袋を開けて中を覗いたり、その中の石を軽く手で弾いてみたりして調べる。
「マシシって魔法道具直せるんだ?」
「簡単なもんなら弄れる程度だけどな。 急ぎじゃねーだろ? とりあえず預かっとくわ」
「直ればいつでも構わないよ」
火袋を閉めてランタンを宙に仕舞うのを見届けてから、アスカは窓の外に目を遣った。
「にしても皆雪に無感動っていうか……雪遊びとかしないのか?」
「しねーよ」
「アスカってどうしてもぼくたちの事を子供だと思うみたいだね」
マシシと籽玉の呆れ声にアスカはきょとんとして、たっぷりと間を開けてから、ああ、と軽く数度頷いた。そういえば彼らは大人なのだった、二人共普段の振る舞いがきちんと外見と一致しているように見えて忘れていたが、と。
敢えて言葉には出さなかった思いが目線には滲んでいたのだろう、マシシは目を皿のように細めてじとりとアスカを睨む。
「あすかのせかいではどんなゆきあそびをするのーぉ?」
何か文句を言おうと口を開きかけたマシシを遮るように、シイラが小さく首を傾げて問い掛けた。
「俺のとこでは……そうだなぁ、やっぱ定番は雪だるまだよな」
「ゆきだるま?」
「知んない? 雪の玉を転がしてどんどんでかくしてったのを二つ作って、大きい方に小さい方を乗せて、手とか顔とか作ったりすんの。 あとは雪合戦かなぁ、こんくらいの雪球を投げつけ合うやつ」
アスカの説明の両方にシイラは小さく首を横に振り、隣のマシシを仰ぎ見る。
「どっちもみたことないねーぇ……? ましししってるーぅ?」
「あ? 雪だるま? とかいう方はどっかで見たことある気もするけどどォだろな……」
のんびりしたシイラの口調にはマシシも毒を抜かれるのか、アスカへ食って掛かるのはやめにしたようで、斜め上に視線を遣って記憶を辿りはじめる。
アスカは紅茶を飲み干すと席を立ち、びっと外を指差した。
「よし、そんじゃ試しに作ってみるか! エティさん、庭で雪だるま作ってもいいですか?」
「好きにしろ」
返事を待たずに首に薄緋色のマフラーを巻き始めるアスカを横目でちらりと見て、エティはテーブルの上に載せていた本を手に取って開く。椅子に掛けていたコートを羽織りながら上機嫌で外へ出て行くアスカを、マシシは呆れた目で見ながら席を立つ。
「てめーが一番はしゃいでんじゃねーか」
「アスカは子供だもの。 マシシはマシシでどうしてもそれを忘れてしまうようだね」
「……っせーな」
同じように椅子から降りた籽玉が目を細めて揶揄すると、マシシはぷいと顔を背けた。視線を逸らした先で自分を見つめるシイラと目が合って、今度はどこかばつが悪そうに目を泳がせる。