生まれてこの方雪かきの経験などないアスカはその作業を完全に侮っていた。膝下までの積雪さえ覚えている限りの人生で初めての経験だったが、たかだか数十メートル程度の距離、そう広くもない道幅のぶん雪を退けるなど、大した運動量ではないだろう。そう油断しきって、絨毯で市場の方へ向かうマシシを見送ってから鼻歌まじりに作業を開始したものの、道程の半分ほどまで進んだ頃には、雪原に突き立てたスコップへ凭れながら自分の腰を摩っていた。古書店から出てきたエティがすぐ後ろに歩み寄って来たのに気付いて体を起こす。
「大分片付いてきたな」
「雪かきって思ったより重労働ですね……。 星ノ宮はよく雪が降るんですか?」
「ちらつく程度には度々降るが、これほど積もるのはそう頻繁でもない。 初雪から積もったのを見るのはこれで三度目だ」
「よく覚えてるんですね」
とは言っても、アスカはエティがどれくらいの期間この町に住んでいるのかも知らなかった。訊いてみようかとエティの方をちらりと見たが、以前の会話を思うときっとこれもあまり尋ねられたくない話題なのだろうと、口に出すのをやめにする。
アスカによって道の外へ退けられた雪を見下ろしていたエティが不意に振り向いて、横からスコップの柄に手をかけた。
「替わる」
「いやいやいや、これ結構疲れますよ?」
「だから替わると言ってる」
「エティさん……」
エティは外光で青色を呈す瞳でじっとアスカを見上げ、スコップを握ったまま離そうとしない。
アスカが度々腰を押さえたり重くなった腕を振ったりしていた姿を古書店の窓から見ていたのだろうか。アスカはつい零れた笑顔を向けて、エティの手の上から自分の手のひらを重ね、細指をそっと柄から外させた。
「俺はまだまだ大丈夫です! そのかわりにエティさん、俺の目見て「頑張れ」って言ってください」
「……」
エティの顔に、何故そんな事を、と疑問の色が浮かび上がったが、少し瞬いてから、アスカに軽く握られたままの手をぎゅっと握り返してくる。
「がんばれ」
「……っ」
淡桃色の唇から紡がれたのは、アスカの言葉をなぞるだけの簡潔で限りなく棒読みに近い激励だったが、それはアスカが予想していた以上に喜ばしく、磨り減っていた気力と体力がみるみるうちに回復していったのを感じた。
「はいっ! ありがとうございます!」
スコップを握り直して新雪の中へ勢いよく突き立てたところで、ひとつ大きくくしゃみをして鼻をすする。エティはその背中ヘ、口の端が綻んだ程度の笑みを向けた。
「……ジンジャーティーを淹れておく。 早く戻ってこい」
その声音がいつもより柔らかいように聞こえて振り向いた時には、古書店へ戻るエティの後ろ姿だけが見えて、アスカは鼻を擦りながら首を傾げて彼の背中を見送った。