:: RM>>11-02




 シイラの提案に頷いたアスカは一度古書店へと戻り、理由は伏せつつ午後の仕事は休ませてほしいとエティへ頼んだ。聞いているのかいないのか、本へ視線を落としたままふたつ返事で了承したエティに軽く頭を下げて再び古書店を出た。
 シイラから教えられたとおり、最初の分かれ道を右手、いつも市場や薬屋へ向かうのと反対方向へと折れて緩やかにくねる一本道を進むと、程なくして石畳は途切れ、土の露出した小径が森の中へと吸い込まれていった。立派な高い木々が空を覆う木漏れ日の中を散策しながら道なりに歩き進めていくうち、一軒の家屋が木々の隙間から覗き見えた。古書店からはもう十分ほど歩いただろうか、小径はその家の前で途切れている。
 小綺麗な木造の平屋建て、全体的にはシンプルな外装だが、丸い飾り窓や、紋様の入った硝子が嵌め込まれた扉、その左右に吊るしてある小さな赤い提灯、他にも細々と施された装飾が、そこに住んでいるであろうふたりの顔をアスカの頭の中へと思い起こさせた。
 扉の左横には、二匹の龍が巻きつくような装飾が入った小さな鐘のようなものが下がっている。呼び鈴だろうか、と鐘の中から垂れる赤い房へ手を伸ばそうとした瞬間、外開きの扉ががちゃりと音を立てながら開いた。顔を覗かせたのはアスカが思い描いていたうちのひとり。瞳を細めて愉快そうに口角を吊り上げ、アスカの腕に自らの両腕を絡めて家の中へ引きずり込む。

 「うわわっ……」
 「いらっしゃい、アスカ。 待っていたよ」

 強く引かれて体勢を崩しかけるアスカを抱き止めるように支えて、籽玉はくすくすと笑う。アスカの背後でバタ、と扉が閉まった。

 「お、お邪魔します……俺が来る事、シイラから聞いてたのか?」
 「シイラ? ううん、なあんにも? ただアスカの濃くて美味しそうな魔力が近付いてきたのがわかっただけ……」
 「籽玉ッ……近い、近いって」

 アスカは背中へ腕を回してぴたりと体を密着させてくる籽玉にまごつきつつ、強く振り解くわけにもいかずに狼狽する。すぐ傍で見上げてくる妖しい笑みから逃げるようにおろおろと彷徨う視線は、籽玉の後ろに伸びるやたらと長い廊下へ向かった。奥の方が四、五段の階段を経て少し高くなっているのを珍しく思っていると、廊下の最も手前の引き戸をからからと開けて琅玕が顔を覗かせた。
 アスカと籽玉の様子を見るや否やすぐさま二人のもとへ飛んで来て、籽玉の両肩を掴んでアスカから引き剥がす。自分の背中側へ籽玉を隠すようにアスカの前へ立ち、無表情を少しだけ申し訳なさげに歪ませた。

 「すまない……。 いらっしゃい、アスカ」
 「い、いや。 お邪魔してます」
 「どうぞ」

 苦笑で返すと、琅玕は今自分が出てきた引き戸の方へ手を向けてアスカへ入室を促した。三度目、お邪魔します、と呟きながら開け放たれたままの戸を潜ると、居間だろうか?左右に広い室内の真ん中には四客の椅子に囲まれた丸い卓が鎮座し、壁や窓の傍に飾り箪笥や棚がいくつか。左手奥には木製の透かし彫りの衝立が置かれ、その向こうには長椅子が低めの卓を囲むように三脚置かれているのが見えた。
右手奥は台所になっており、アスカの視線は自然と焜炉へと吸い寄せられる。
  突っ立ったまま動かなくなったアスカの背中を見遣り、琅玕は卓に近づいて椅子をひとつ引いた。

 「掛けて」
 「あ、ああごめん。 ありがとう」
 「それで? いきなり何の用事があって来たんだい?」

 アスカの左隣の椅子に座った籽玉が上機嫌そうに笑みながら問い掛けた。
 いきさつを簡単に説明し、目的を話し終えた頃に、琅玕も三人分の茶杯を卓に置いて椅子に座る。

 「なあんだそんなこと。 そんなのエティが見ていない時にでもぱぱっと試してしまったらいいのに、シイラも何だかんだで過保護なんだから……。 ま、ぼくはアスカが遊びに来るなんてそれだけで面白いから歓迎だけれどね?」
 「着火を試してみるのは構わないが……うちの焜炉は普通のものより高火力なんだ。 もしもの場合大丈夫だろうか」
 「多少爆発したって死にはしないでしょ」

 籽玉が自ら口にした言葉にころころと笑う横で琅玕は少し思案し、小さく一度頷きながら肯定する。

 「まあ、そうか。 死にはしない」
 「基準ざっくりしてんなぁ……俺すげえ怖くなってきたんだけど……」

 琅玕が椅子を立って蛇腹式の衝立を畳み、居間の向こう側の壁の傍、室内で焜炉から最も離れた場所へ置いた。手招きして籽玉を傍まで来させると、壁と衝立の隙間に籽玉を立たせて台所へと戻って来る。
 そして茶杯に口をつけながら一連の動作を見ていたアスカと目を合わせ、こくりと一度頷いた。

 「……そこまで避難させなくても……俺さすがに傷付くよ……?」

 茶杯を空にしたアスカが苦笑混じりの情けない声でぼやきながら立ち上がる。

 「すまない、冗談のつもりだった」
 「でも避難させたままなんだ……」

 いつも冷静な琅玕にそうまでされると、普段籽玉とマシシにからかわれているのとは比べ物にならないショックを感じたが、悪いのは魔力を調整できない自分であって琅玕は最低限の防衛を籽玉に施しただけだと自分に言い聞かせるように思い直し、アスカはそれ以上文句は言わずに焜炉の前へ立った。

 「……じゃ、やるぞ」

 アスカは傍らで首を縦に振る琅玕に頷き返し、右手のひらを焜炉の口の一つへ向けた。水道から水を出す時と同様に自宅の焜炉を点ける要領で、と考えたのだが、自宅のそれは電気式である上に、点けた事は殆ど無いと今更気が付く。少し悩んで、確かスイッチを押すだけでよかったはず、と、存在しないスイッチを心の中で押してみた。
 がちん、と焜炉の中から音がして、前後に三つ並んだ口のうち、一番左のものに中火程度の安定した炎が並んだ。

 「できた!!」
 「火力の調節はできるだろうか」

 声を弾ませるアスカへ琅玕は冷静に言葉を掛ける。摘みを回すように想像してみると、細かい調整は効かないものの、弱中強程度の切り替えはなんとか可能なようだった。琅玕が言っていた通り、強火の火力がかなり強い。もう一度スイッチを押すようにして火を消し、籽玉を振り返る琅玕につられてアスカも居間を振り向いた。
 衝立から顔を覗かせた籽玉が二人の視線に軽く頷いてみせる。

 「唵、相変わらず雑というか下手というかだけれど……問題はないんじゃないかい? 魔法道具の事はぼくはよくわからないからきっぱりと断言はできないけれど、エティの所もいい道具を揃えているだろうし、ちょっとやそっと手荒な扱いしたからって壊れたりはしないでしょ」
 「よーし、それならあとは料理覚えるだけだな!」

 顔を輝かせたアスカが体の横でぐっと拳を握った。二人の側へ戻って来た籽玉が口元を袖で覆って呟く。

 「……ぼくにはアスカに料理の才能があるとはあまり思えないんだよねえ」
 「えっ? そんな事ねぇよ」
 「その反論に根拠はないだろう? 壊滅的とまでは言わないけれど、そんなに上手くなるとは思えないね」

 思えない、という口ぶりの割にその語気は静かな確信に満ちていて、アスカの根拠のない反論は意気込みと共に急速に削がれていった。

 「そ……それって占いかなんかでわかるのか?」
 「不是、ただのぼくの勘。 そうだ琅玕、折角だしこの後アスカに料理の監督をしながら基本を教えてみたらいいんじゃない?」

 琅玕は籽玉の突然の提案に特に驚く事もなく、検討する様子すらなくあっさりと首を縦に振る。

 「おれは構わないが」
 「いいのか? なら頼むよ、マジで助かる!」

 アスカの笑みにはにかんで返す琅玕の顔を見て、籽玉も満足そうににたりと笑んだ。




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