:: RM>>08-04




 「よし、んじゃいくぜ」

 マシシが仕上げとばかりに手首を折ってひらりと手のひらを下げた瞬間、絨毯は猛烈な速度で急発進した。

 「「うわっ!?」」

 激しい反動を受けて後ろへのめりそうになるのを、アスカは強く持ち手を掴んでやり過ごすが、体を支える物のないマシシは思いきり後方へ転んでしまう。何とか絨毯の上に突こうとした手が虚空を掻き、ずるりと体のバランスが崩れる。

 「マシシ!!」

 アスカが咄嗟に片手を差し伸べるが相手の腕には僅かに届かず、マシシはそのまま絨毯の外へと転がり落ちた。アスカは躊躇う事なく取っ手を離し、絨毯を蹴って自らも飛び降りた。

 「はっ!? お前なんっ……」

 驚愕に目を見開くマシシの腕を掴んで引き寄せると同時に体を反転させて地面側に背中を向け、相手の体を胸に抱き込む。地上から遙か高く、そんな事をしてもこのまま地面に叩き付けられれば二人共助かる見込みはないとようやく気が付き、抱く腕の力を増した。

 「……っの馬鹿ヤロッ……!!」

 マシシはもがくように右腕を横に突き出し、宙からひとつの腕環を取り出した。目を閉じて魔力を込めると、キン、と澄んだ金属音が響いてバングルの上から手首に填る。
 次の瞬間、アスカの視界に青が弾け、マシシの背中から限りなく透明に近い空色をした一対の翼がするすると生え出るように形作られていった。天使の翼のようなそれらがばさばさと大きく空を切り、二人の落下速度を少しずつ緩めていく。
 それでも落下そのものは止まらず、やがて視界の端に木々がうつり、アスカは歯を食いしばってかたく目を瞑った。程なくして背中に強烈な衝撃を受け、肺の空気が全て外へと押し出される。

 「がっ……!!」

 暫しの間呼吸が止まった後、体が酸素を求めて大きく咳き込む。呼吸の苦しさが背中の痛みと相俟って目尻に涙が滲んだ。

 「おい大丈夫かよ!?」

 抱き込まれたままのマシシがアスカの肩を宥めるように叩く。そうしているうちにやがて咳は治まり、甲で目許を拭って両腕をぱたりと地面に放った。

 「い……息止まったけど何とか……。 マシシは怪我ないか?」
 「オレ? オレはねーけど……」
 「そか……よかった」

 体の上で僅かに上体を起こして顔を覗き込んでくるマシシに、アスカは安堵に緩んだ表情で笑いかける。右腕を持ち上げ子供にするようにわしわしと頭を撫でてやれば、マシシの首から上がみるみるうちに真っ赤に染まった。

 「ばっ……馬鹿じゃねーの!? ナンであんな躊躇いなく飛び降りんだよッ、死にてーのか!?」
 「体が勝手に動いてたんだよ……いいじゃん、結果は無事だったんだしさ」

 元々声量の大きいマシシによる至近距離での怒鳴り声に耳鳴りを感じながらも、頭に乗せたままの手をぽふぽふとやってからかい半分に宥めようとする。余計喚くだろうかという予想に反し、マシシはきゅっと唇を噛み、頬の染まりきった表情を隠すようにアスカの胸の上に体を臥してしまう。

 「……っざけんなよ……それでアンタが死んだら元も子もねーじゃんかよ……」
 「マシシ? 本当に大丈夫か?」

 三度目、撫でようと手を動かしかけるがマシシの甲でぺちんと払われた。

 「るせー、こっちゃ魔力使いまくって疲れてんだよ……ちったぁ休ませろ」
 「ぁあ、うん……」

 改めて自分たちの状態を客観視すると強いデジャヴと共に照れくささを感じたが、アスカは曖昧に頷いてそれ以上何か言うでもなく、首を動かして周囲を見回した。少し湿った土の匂い。どこか町外れの林の中にでも落下したらしい。人目がない事に内心ほっと胸を撫で下ろした。これがもし目抜き通りのど真ん中にでも落ちていたとしたら、と考えるだけで強い羞恥に襲われる。

 「大体、このオレ様がナンの備えもなしに危ない橋渡るわけねーっつの……」

 ぶちぶちと文句を呟くマシシを首をもたげてよく見ると、背中から少し離れた宙に生えた翼が力なくへたりと地面に横たわっていた。

 「その羽凄く綺麗だな。 魔法道具、なんだよな?」
 「ぁあ? あーこれな……翼の実体化する時にも羽ばたきにもめちゃくちゃ魔力使うし、殆ど実用性のねー観賞用だよ」

 再びキン、と音が響いて、翼は空気に溶けるように消えていく。

 「それでもオレ一人地面に降りるくらいなら普通にできたわけ。 お前の体重も支えて余計疲れたわけ」
 「だ、だって見捨てるみたいな事できないし……それに俺だけ絨毯の上に残されたって操作の仕方もわかんないしさ……って絨毯は?」

 マシシが気怠げにゆっくりとアスカから降り、地面に胡坐をかいて真上を仰いだ。アスカも体を起こし、つられて木々の間から空を見る。上空に小さく鳥のようなものが見えたが、かなりの速度で円を描くように走り回るその不自然な動きは、明らかに生き物のそれではない。

 「弁償」

 低く押し込められた声でボソリと呟かれた言葉に、アスカの背筋がピシリと凍る。

 「……オイクラデスカ」

 棒読みの質問への返事を聞いて、アスカは力なく仰向けに地面へ倒れ込んだ。



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