:: RM>>08-02




 ……どうしたもんか。

 アスカは額に貼られた札に視界を半分近く遮られたままぼんやりと天井を眺め続ける。そこまで時間が経ったわけでもないのだろうが、首さえ動かせないせいで時計すら見えず、ただただ体の上に乗った重みと息苦しさを感じる事しかできないこの状況では体感時間は長く伸びていくばかりだ。
 ひょっとしたらエティが覗きに来て助けて貰えないだろうかと期待もしたが、自分を呼びに来る前にはずっとカウンターで本を読み耽っていた様子を思い出して、望みは薄いだろうと早々に諦めをつけた。
 これで何度目か、ソファからだらりと落ちた左腕を動かすように試みたが、やはり指先すらぴくりともしない。
 古書店の閉店まであと一時間と少し、それまで待つしかないだろうかと諦めかけた丁度その時、店内入り口の鳴り子の音が耳に届いた。すぐにダイニングの扉が開き、ぱたぱたと足音。アスカの視界に緑の髪がうつり、次いで琥珀色の瞳が高い位置から顔を覗き込んだ。無言のままたっぷり十数秒かけて見下ろすその顔に表情はない。
 ようやく手を伸ばし、アスカの額の札をいとも簡単に剥がす。その瞬間、見えない糸が一斉に解けたかのように体に自由が戻り、アスカは大きく息を吐いた。

 「……ぶはっ! はー……助かったよ琅玕」

 琅玕が箒を床に置き、アスカの体の上で丸まって寝息を立てる籽玉をそっと抱き上げる。アスカは圧迫され続けていた胸を摩りながら体を起こした。
 むにゃむにゃと寝言を洩らしはするが目を覚ます気配のない籽玉をテーブルの向かい側のソファへ運んで横たえ、琅玕はアスカへ向き直って帽子を外し、深々と礼をする。


 「……すまなかった」
 「いや、琅玕が謝ることじゃ……」
 「何かあったか?」

 俯いたまま重ねてくる声が、アスカには僅かに震えているように聞こえた。

 「何か、っていうか……その札貼られたら体が勝手にソファに寝てさ、上に籽玉が乗っかってきたと思ったらすぐ寝ちゃって。 体が動かせないもんだからぼーっとしてたんだよ」
 「……そうか」
 「あー、お茶淹れるよ」

 心なしか強張った表情で顔を上げた琅玕にソファへ座るよう手で促し、アスカは腰を上げかける。

 「いや、籽玉のぶんを貰うから……お構いなく」

 琅玕はやんわりと断りながら籽玉の隣にそっと腰掛け、ごく自然な動作で白い髪を撫でた。籽玉が何やらむにゅむにゅと言いながら、目を閉じたまま少し体を起こして琅玕の膝に頭を乗せる。
 表情を緩めて籽玉の髪を梳くその光景を正面から見ているのが何だか気恥ずかしく感じてしまい、アスカは視線を宙に泳がせた。

 「あーっと……ところで、俺かエティさんに何か用事?」
 「ん……籽玉を探しに来ただけだよ」
 「籽玉の事、ずっと探し回ってたのか?」
 「いや。 籽玉は一人では滅多に出掛けないし、昨日煙突の話をしたばかりだから、此処にいるだろうとは思ってた」

 琅玕は顔を上げ、籽玉を撫でるのとは反対の手に持ったままだった札をくしゃりと握って丸めてしまう。

 「その札って魔法道具なの?」
 「厳密にはそうじゃなくて……籽玉は札を貼り付けた相手の動きを少しの間操れるんだ。 本来なら魔力量が多い相手ほど効果時間が少ないはずなんだが……アスカは、その、魔力の制御が……」

 言葉の途中で相手を伺い、言いづらそうに口篭るのにアスカは笑って片手を振った。

 「いいんだ、事実みたいだし。 それにしてもなんで籽玉は俺に札を?」
 「寝ぼけたんだと思う。 昨晩は夜ふかししていたし……。 ……それでも、人に甘えるなんて滅多にない事なのに……」

 後半は独り言のように小さく呟きながら、琅玕は膝元に視線を落として籽玉の顔にかかった髪をそっと退けてやる。

 「琅玕は籽玉を本当に大事にしてるんだな。二人は双子の兄弟なんだっけ?」
 「おれたちの特性上、恐らくはきょうだい、というやつではないけど……双子とは呼ばれてる」
 「へぇ、他にも双子っているのか?」
 「見聞きした事はないな。 普通はそういった事はないらしくて」

 不意に籽玉が上体を起こし、半分だけ開いた瞳でのろのろと室内を見回した。琅玕と目が合い、再び頭を撫でられて力の抜けた顔で笑む。

 「おかえり……琅玕」
 「ただいま。 籽玉、そろそろお暇するよ」
 「んー……」

 籽玉は先に立った琅玕が差し出した手のひらに重ねた手を引かれ、目元を擦りながら立ち上がった。アスカも腰を上げて二人を店の外へ送り出す。

 「市場で買い物して帰るけど、籽玉は先に戻ってる?」
 
 優しく問われ、籽玉はまだ瞼が下がったままの顔を横に振った。

 「抱いて乗ろうか?」
 「だいじょうぶ……」

 箒を宙に浮かせながら当たり前のようにさらりと吐き出されたもうひとつの問いに、アスカが先刻以上の気恥ずかしさを感じて顔を逸らすと、丁度市場から戻ってきたらしいマシシが通りの方から歩いて来ているのが見えた。

 「アスカ、お茶ごちそうさま。 籽玉が色々とすまなかった」
 「んっ!? あ、ああ気にするなよ! こちらこそゴチソウサマッ」
 「?」

 箒へ横座りの籽玉を乗せた琅玕がアスカの言葉に首を傾げつつ、夕暮れの空にひらり飛び立った。見上げて大きく手を振るアスカの隣にマシシが立ち止まってうんざりした口気で呟く。

 「んっとにアイツの甘やかしっぷりはしょうがねーな……」



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