:: RM>>06-05




 「いてっ!」

 夕刻を回った頃。ソファへ仰向けに寝転び、軽く腕を伸ばして読んでいた文庫本が手から滑り落ちて顔面に直撃して、微睡んでいたアスカの意識がはっきりと覚醒した。火の伝えるじわりとした熱が心地よく眠気を誘うのだ。
 体を横に向け、床に落ちた文庫本を拾い上げる。仕事と家事以外では専ら本を読んでばかりのエティに倣って気まぐれに学校の図書室から本を借りてきたのはいいが、ものの数ページですぐ飽きてしまった。ローテーブルに積まれ本の横に文庫を放り、寝転がったまま暖炉のほうへ視線を向けてエティを見遣る。
 暖炉の傍で大きな揺り椅子に凭れ、赤い炎に照らされながら膝に置いた本へ視線を落とす、そんな姿がアスカにはやはり絵になって見え、ページを繰る白い指の動きにすら見蕩れてしまう。
 彼はどうも、軽い暇つぶしとして本を読んでいるときと、没頭して読んでいるときがあるらしかった。自分が本を落とす音に反応しなかったという事は後者なのかもしれないと、アスカは声を掛けようと開きかけた口を閉じた。それほどまでにエティを集中させる本にはどんな物語が綴られているのか興味を引いてならなかったが、何度訊いてみてもエティは内容を教えようとはしない。
 炉床で揺れる炎がエティの瞳の赤を色濃くする。舐めるような火の動きがうつるその瞳が文字を辿って上下に動き、揺れる光がまるで涙を湛えているかのように見えた。

 かなしい物語なのかな。

 いつも彼が読み耽っている時は、どこか物憂げな表情をしているように思える。アスカは重みを増す瞼を閉じて、薪のはぜる音とページを捲る音に耳を傾けながら、この人は嬉しい時にはどんな顔をするのだろう、と思い浮かべてみる。



 最後の一文を読み終わり、閉じた表紙を撫ぜながらエティは深く息を吐いた。顔を上げ、ソファに横臥するアスカの姿を捉えて、その肩が規則正しく上下している事に気が付く。膝に掛けていたブランケットを持ち上げて揺り椅子から降りる。
 本をローテーブルに置き、すぐ目の前まで近寄る足音にも目を覚まさず寝息を立てる姿を見下ろす。洗いたてのブランケットをふわりと体に掛けてやる。
 炎にちらちらと照らされ艶めく黒髪を軽く透き、そのまま指先を目元に這わせる。薄い瞼越しに瞳をひと撫ですると、存外長い睫がふるりと微かに震えた。頬を撫でるように指を下ろし、僅かに開かれた唇へ触れかけて、エティは手を引っ込めた。その指で胸に下がるループタイに触れ、刻まれた葉の紋様を辿る。
 声には出さず、唇の動きだけで短く言葉を紡ぐ。返るはずの無い返事。端正なつくりの澄ました表情が、ほんの僅か、歪んだ。



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