:: RM>>04-01




 家々の屋根の上を箒に立ち乗ってすいすいと飛ぶ少年がひとり。首の後ろで纏めた襟足を向かい風に靡かせながら高度を下げて、くるりと器用に古書店の前に降り立つ。
 風で乱れてはいないかと翠緑の短い髪を手櫛で整え、臙脂色の腕章が付いた、膝まで覆う濃紺の長い上着の裾を落ち着かなげにぱたぱたと叩いて、吊り気味な琥珀色の瞳で暫し古書店を見つめた。
 やがて意を決したように、短い階段を上がって扉を開く。

 「早かったな」

 カウンターで本を鑑定していたエティが顔を上げて、客に対するものとは違う言葉をかけた。少年は頭にちょこんと乗った帽子を片手で外し、深い一礼で返す。

 「一人か」
 「気分が優れないから休んでいたいと……すみません」
 「そうか。 ならお前だけでも会って行ったら良い。 丁度今使いにやってるが、じき戻るはずだ」
 「失礼します」

 エティが開いてやった奥の扉を少年がもう一礼して潜る。大きな肩掛け鞄を下ろして箒と共に壁際に預け、厚手の不織布の上着を脱いで椅子の背もたれに掛けた。
 振り向くとエティが紅茶の瓶を開けている事に気が付き、やんわりと制止する。

 「おれ一人ですから、お構い無く」
 「……そうか。 なら後で一緒に淹れるから、もう少し待ってろ」

 エティは少年の遠慮深い性分を思い出し、瓶を置いて本の鑑定に戻った。


***


 エティに指示された本をシイラのもとへ届けた帰り道。相変わらずの微笑みから掛けられた痛烈な言葉たちを頭の中で反芻しながら歩いていると、古書店へ戻る三叉路の奥の木陰から此方を伺う気配がある事に気が付いた。……というより、木の幹から顔を覗かせて見つめる影と目が合った。

 うっ……怪しいなぁ……。

 『見てます!』というオーラまで可視できてしまいそうなほど主張してやまない存在感。ばっちり目と目を合わせて思わず足を止めてしまった以上無視して歩き去るわけにもいかず、アスカは視線の主にぎこちなく笑顔を向けた。
 それを見て、木陰からひょこりと少年が姿を現す。周囲の洋風建築には馴染まぬ、異国情緒溢れる独特な雰囲気の服装。乳白色の柔そうな髪と、顔の横に下がる大きな丸い石の付いた飾りを揺らしながらつかつかと一直線に歩み寄って来て、初対面にしては近すぎるほどの距離でアスカを見上げた。年の頃はエティと同じか、僅かに下か。
 持ち上げた右手の長い袖口で口元を隠しているせいで、少年の表情は読み取れない。じいっと見上げる吊り気味な翠の双眸を戸惑いながらも見つめ返す。

 「あのー……俺に何か……?」
 「……是吗……垂れ流しっぱなしの凄い魔力……ぞくぞくするね。 近くにいるだけで当てられそう」

 少年は異国語混じりに独り言を呟きながらすっと瞳を細め、左手をアスカへ伸ばし、指先でつつつ、とシャツ越しに胸元を撫でた。

 「ちょ、な……!? ひっ、人違いじゃないですか!?」

 どぎまぎしつつ咄嗟に体を引いて避け、険しい顔になりかけるぎりぎりのところで引き攣り笑顔を保つ。少年は口元から袖を外して満足そうに笑み返した。

 「不对……間違いないよ」

 悪戯っぽく目を細めた無邪気とも妖しいとも取れる笑顔は、まだ顔つきに幼さの残る少年にはあまり似つかわしくないものに思えた。
 かと思えばくるりと表情を変えて、年齢相応の人懐こそうな笑顔と共に声の調子を明るく切り替えて語りかけてくる。

 「ぼくも古書店に用事があるんだ。 ただついさっき足を挫いてしまってね? 痛くて満足に歩けないんだよ」
 「え? でも今あっちからかなり元気に歩いて来」
 「あいたたたたた!! 痛い痛い痛いずきずきするっ」
 「だ、大丈夫か!?」

 木陰を指すアスカの言葉を遮って、少年はまた片袖で口元を隠しながらしゃがみ込んで足首を押さえた。慌ててアスカも膝を付いて様子を見てやる。
 たっぷりした布のズボンで隠れた足首に目を取られるばかりで、袖口の向こうで少年の浮かべた忍び笑いには気が付かず。



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