:: RM>>03-05




 静まりかえった室内。所在なく視線を彷徨わせて店内を見回す。カウンターの上の、薬匙が何本も収められたスタンドに、古書店にあるものに似た古風なレジスター。薬箪笥のひとつひとつに綴られた小さな文字。
 視線を天窓のほうへ伸ばす。壁を覆う薬箪笥の一番上、入り口から見て左側、らせん状のステップをのぼりきった先がまた別の部屋になっているのだろう、空間が広がっているように見えた。
 椅子を吊る鎖はよく見ると滑車を通り、格子を辿るように伸びて引き出しの合間に姿を消している。ステップをのぼらずとも、何かの仕組みで椅子が上階へ持ち上がるのかもしれない。失礼ながらシイラのぼんやりとした雰囲気や動き辛そうな衣服からして、無事にガラスのステップをのぼりきれるとは思えなかった。きっと椅子に乗ったまま上の階と行き来するんだな、と勝手に納得してしまう。

 この子は、何者なんだろう。

 とろとろとした口調で次々と紡ぎ出される言葉。遠慮なく貶したと思えば少し褒められ、話していると思い切り振り回されているような感覚になる。年齢は十一、二歳ほどに伺えるが、それにしては話す言葉が見た目と噛み合っていない。
 この薬屋に住んでいるのかそれとも別に帰る家があるのか。そう考えればエティも、アスカの世界でいえばまだ同年代の大多数は教育を受けている年齢だろうが、アスカ本人はもとより同級生達よりも余程落ち着いているように見えるし、そのうえ、あの居住スペースもやたらと広い古書店に一人で住んでいる。
 ひょっとすると、星ノ宮では人を成人とみなす年齢が低いのか。いやそれにしても、さすがにシイラは幼すぎないだろうか。幼いから歯に衣着せぬ物言いをするのか。しかし言い方はどうあれ、言っていた事は全て正論だ。幼子が正論ばかりずばずばと口に出来るものだろうか。
 暇を持て余してとりとめなく思考を巡らせているうち、ついさっきシイラの言葉が突き刺さった胸のどこかがじわりと痛む。

 「……そうだよ、三泊なんて普通はありえねーよ。 やっぱ厚かましいよなぁ……当たり前か…… 」
 「……うん……?」

 天井を仰いだままつい口から零れた独言。シイラは微かに声を漏らして、預けていた肩から頭を下ろし、至近距離でアスカを見上げた。吐息がかかりそうなほど近い距離に加えてシイラの表情に妙な色香のようなものを感じてしまって、頬が熱を持つのを感じた。

 「ご、ごめん……起こした?」

 上ずりかけたアスカの声にシイラはことりと首を傾げ、また柔和に笑う。

 「こどもにくっつかれてあかくなるなんてぇ……あすか、もしかして、へんたいさん?」
 「へんたっ!? ち、ちち違う! 断じてちがっ痛って」

 あまりに不名誉なレッテルを貼られかけ、飛び退るようにベンチの端に避けた。勢い余って薬箪笥の取っ手の一つに肩を思い切り打ち当てた。

 「……ふふ。 あすかはおもしろいねぇ」

 シイラはベンチから降りて敲から絨毯に上がり、微かに鎖を軋ませて籐の椅子に体を戻した。再び動き出したすり棒たちの横で、カラフルな薬包紙が何枚か取り出されては角と角を合わせて半分に折られていく。

 「ふつうにかんがえれば、あつかましいにもほどがあるよねぇ。 さすがにそれはわかってるんだねーぇ?」

 唐突に切り出された話題の趣旨を一瞬掴み損ねるが、少し間を置いて理解する。アスカは肩を摩る腕を下ろし、唇を引き結んでコクリと一度頷いた。

 「わかってても、あすかはできるだけほしのみやにいたいっておもうんだねぇ」
 「……」

 それを口に出した覚えはないが、察されているのだろう。シイラにだけか、エティにもか。こみ上げる情けなさと罪悪感に心臓を掴まれて、アスカは深く俯いた。低いトーンで言葉が洩れる。

 「……最初にこの世界に来た時から、なんていうか……居心地よくて」

 そこで止めれば十分だろうと思っていながら、唇は声をつくるのを止めてくれない。自分とシイラに、ここにはいないエティに、弁明せずにはいられない。

 「ほんとに居心地よくて、よすぎるくらいで。 帰りたくないんだ。 エティさんと居るの楽しいし、見た事ない物、面白い事、いっぱいあるし。 ……でもそんなの言い訳で」
 「あすか」
 「……っ」

 柔らかく呼ぶ声に遮られ、アスカははっとして顔を上げた。変わらず微笑むシイラの、その細めた瞳に篭った慈愛のような温もりに声が詰まる。

 「そのさきは、わたしじゃなくて、えてぃにつたえないとだめだよ。 わかるよね?」

 母が子を諭すような、穏やかな声色。アスカは小さく頷いた。

 「むりにいまつたえなくてもいいとおもうけどねぇ。 えてぃは、あすかみたいなこどものあさはかなかんがえ、きっとおみとおしだよぉ。 それに、あすかがちゃんとあつかましいってわかっていて、えてぃもそれでいいっておもってるんだから、だれもそんしてないよねぇ」
 「……エティさんは、それでいいって思ってくれてるかな?」
 「うん。 いやだったらすぐにでもおいだしてるだろうからねーぇ? えてぃはそういうこだよぉ」
 「……そっか」

 また俯きかけるアスカの膝に、クラフト紙の小袋がぽすりと置かれる。軽く畳まれた口を開けて中を覗くと、自販機の見本と同じ薬包紙の小袋が整然と詰められていた。カウンター上のすり棒はいつの間にか動きを止め、鉢の中は空になっている。
 アスカは紙袋の口を確りと折ってベンチから立ち上がった。

 「おまたせだねぇ。 おつりはこれと……このほんももっていってねーぇ? かいとりのおかねは、もうもらってるからぁ」
 「っと……了解。 ありがとなー」

 随分軽くなった皮袋と本が一冊、ふわりと浮いてアスカの手元に渡された。受け取ったついでに片手を挙げて軽く挨拶し、引き戸に手を掛ける。

 「きょうつくったくすりはねーぇ? ほとんどが、かぜぐすりとか、ちんつうざいとか、じょうびやくなんだよぉ。 どういういみかわかるーぅ?」

 背中に掛けられたシイラの問いに暫し考えてみるが、答えは出ない。振り返って首を横に振る。

 「そう。 ……あすか、すぐにおしごとやめたら、だめだよ」
 「そりゃ勿論、やめないよ。 あ、そだシイラ……さっき変な事言っちゃってごめんな。 あと、聞いてくれてありがと」

 アスカから向けられた笑顔にぱちくりと瞬いてから、シイラは再び笑って右手を振った。袖口から覗いた手元で銀の装飾がちゃらりと小さく音を立てる。

 「……またおいでぇ」



<<>>