言われるままベンチに腰を下ろす。カタカタ、と物音が聞こえはじめた頭上に目をやると、幾つもの引き出しが勝手に開き、乾燥した葉や何かの実やらが独りでに取り出され、低いカウンターの上に置かれた複数のすり鉢に振り分けられた。それぞれの鉢のすり棒が誰かの手で操られているように持ち上がり、鉢の中身をゴリゴリと音を立ててすりつぶし始める。遅れて、何やら独特の、どこかで嗅いだ覚えのある匂いがアスカのもとに届いた。
「……漢方? ひょっとしてシイラは薬屋なのか?」
「そうだよぉ」
合点がいった、とアスカは頷いた。そう言われてみれば、外の自販機に並んでいたのは薬包紙に包まれた薬だったように思える。
「そっか。 にしてもシイラは凄いな、一気に物を色々動かすのは難しいんだってエティさんが言ってたよ」
シイラが椅子を吊る鎖を揺らして、細かい紋様の絨毯が敷かれた床に足をついた。体を覆う、青から紫のグラデーションがかかった布の裾をずるずると引きずりながら、カウンターの脇から一段低くなった敲に降りる。両足に履いたふわふわとした靴下が汚れてしまうのも構わずアスカに近付いて、その左隣に腰を下ろした。
「……な、なに?」
「ふふふ」
肩と肩が触れそうなほど近い距離、体温がほんの微かに伝わってくるような気がした。
「あすかは、ものをうかすのもできないんだってねーぇ?」
「うっ……エティさんそんなことまで話してんのか……」
「むのうだねぇ」
「……えっ?」
唐突に、穏やかな口調にそぐわぬ辛辣な言葉を耳にしたような気がして、アスカは思わず左を向いた。髪の間から覗く柔和な笑顔。何か聞こえたのは気のせいだったのだろうかとぎこちなく笑み返す。
シイラの小さな口から、表情とは裏腹な言葉が紡がれる。
「こどもでもできるのにねぇ。 しかも、じもよめないんだよねぇ。 あすかはそんなでしごとになるのーぉ? ならないよねーぇ? えてぃのところではたらくっていうのもてがみできいたけど、それでおかねもらって、はずかしいなっておもったりしないのーぉ? そのうえ、さんぱくしてかえるってきめたみたいだけど、いくらえてぃがとまっていけばっていったからって、ふつうはもうすこしえんりょするよねぇ。 あすかのせかいには、つつしみ、ってものがないのかなーぁ?」
「え、あ、その……え、エティさんが金は受け取れって……言うから……断りはしたんだけど……三泊については……そのー……」
自分でも気掛かりだった複数の事をゆったりした語り口でじわじわと指摘されて、アスカの返答はしどろもどろになる。尻窄みな情けない声。
「でも、えてぃはひとぎらいだから、せっきゃくなんかできるとありがたいんだろうねぇ」
「え? う、うん……? エティさんって人嫌いなのか?」
「あんまりすきじゃないみたい。 あすかのことはへいきみたいだけど、ひょっとしたら、ひといかにおもわれてたりしてねーぇ?」
浮かべかけた笑顔が凍って、アスカは笑いかけの微妙な表情のまま硬直した。少し間を置いてシイラが笑う。
「ふふ。 じょうだんだよーぉ? きっとあいしょうがよかったんだよぉ」
……冗談と本気の境目がわかんねぇ!
と、心で叫んでも本人には言えるはずもなく。
後から付け足されたポジティブな言葉がシイラの本意とも思えず、アスカは曖昧に笑う事しかできない。
「あすかは、そとのせかいでおべんきょうしてるんだっけーぇ? ここでのおかねのけいさんとか、もうおぼえたのーぉ?」
「お金はなんとか……あと時計の読み方も覚えたよ。 まだ読むのに時間かかるけど」
「そう。 だったらすぐにえてぃのちからになれるねぇ」
「だといいけどな」
へらりと笑い返して、相手の言葉が止まった事に少しだけ安堵する。横目でシイラの表情を盗み見た。はじめに笑いかけられてからずっと浮かべられたままのふんわりとした笑顔。手厳しい言葉に続いたアスカにとって嬉しい言葉。どちらが本心なのか、どちらも本音なのか。考えてみても、初対面の相手の腹の中などわかるはずはない。アスカは軽く息を吐いて思考を止める。
等速度を保ちながら薬をすりつぶし続けるすり棒の動きをただ何となく眺めていると、すべてのすり棒がフラリと棒揺れて鉢の中でその動きを止めた。少し遅れて、左肩にぽすりと重みがかかる。
「……シイラ……?」
肩へ預けられた頭をそっと覗き込んだ。重たそうなほど睫毛がたっぷり乗った瞼は伏せられ、小さな唇から微かな寝息が洩れる。それは幼い子供の寝顔そのもので、さっきまでの物言いが全て嘘のようにさえ思えた。
アスカはなるべくシイラの頭を揺らさないように気を払いつつ体を起こした。