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 長々と居座り続けた残暑がようやく姿を消して、朝晩はブレザーを羽織っていても肌寒く感じるような季節がやってきた。
 気温の低下と共に、暮れる時間もどんどん早まる。午後五時。夕焼けが空の端を染めようとし始めた街の外れを、短めに切りそろえた黒髪を揺らしながらとぼとぼと歩く影ひとつ。



 右肩から下がった鞄がひどく重たく、帰路を辿る足取りを鈍くしている。二つ折りでクリアファイルへ適当に挟み込まれた一枚の紙切れが、教科書十冊ぶんに匹敵するような重さに感じた。
 進路希望調査票。
 平凡だがそれなりに楽しく送る高校生活に大きく立ちはだかった邪魔者のようだと、飛鳥は本日幾度目かのため息を盛大に吐き出した。
 子供の頃の夢はスポーツ選手。もちろん童心の情熱が長く続くはずもなく、そのスポーツも曖昧な笑顔で両親を誤魔化しながら中学卒業と同時にやめてしまって、高校に入学してからはふらふらとした帰宅部生活だ。
 月々の小遣いに不足を感じた事もなくアルバイトすらしていない。こんなふうに友人とも遊ばず真っ直ぐ家に帰る日は、時間を持て余した一人の暇人でしかない。
 
 そうだ、なにかバイトでも始めようか? ……なんてな。

 現実逃避が一瞬頭を過ぎったが、逸れた話はすぐに元の軌道に押し戻される。今は二年生の半ばという中途半端極まりない時期。始めたところですぐ、悩みの種である進路のあれこれで辞めざるを得なくなる可能性が高い。
 就職なんてまだまだしたくない以上、やはり進学か。かといって勉強は好きではないし、赤点こそ取らないものの得意な科目があるわけでもない。どちらかといえば理系寄りの頭をしている自覚があるが、物理や化学や生物やら、専門的に学ぶなんて考えると頭が痛む。加えて、気の進まない勉強をしに行くために高い学費を積まなければならないのも気が引ける。
 これといって欠点はないが、これといった長所があるわけでもないのだ。勉強だけでなく、人生が平々凡々。人並み。一般的。
 わかってはいたが。

 「平凡だなぁ、俺の人生……」

 路傍の小石を蹴りながら思わず口に出してしまって、飛鳥ははっと顔を上げた。すぐ脇の車道を車が流れるばかりで、呟きの届く距離に他の歩行者がいないのを確認してほっとする。
 視線をまた足元に落としかけて、ふと車道の向こう側に目をやった。
 民家の塀と塀に挟まれるようにしてぽっかりと口をあける、見覚えのない狭い路地。足を止め、こんな道あったっけ、と首を傾げる。
 今まで気が付かなかったのだろうか?いやそれはない。一年半高校と自宅とを往復し続けている通りだし、ここはもう家から五分と歩かないごく近所だ。幼い頃から十年以上この辺りに住んでいる飛鳥は、付近の道などとうに知り尽くしている。
 見た限り、なんの変哲もないただの路地だ。それでも、理由はわからないが目を逸らす事ができない。知らない道だから。ただそれだけなのだろうか?
 気になって気になって仕方がない。
 車通りが途切れるのを待って道路の向こう側へ渡り、両腕を広げれば左右の塀に指先がつきそうなほど狭い路地の入口へ立つ。少し進んだ先は急なカーブになっていてそれ以上伺うことができない。
 舗装されていない砂利道。だが、私有地とも違う。全く根拠の無い勘に過ぎない筈が、飛鳥の中でそれはもう何の疑いもない確定事項になっていた。

 ……行ってみよう。

 現実からの逃避を望む心に強く背中を押されるように、或いは、まるで誰かに呼ばれているかのように。飛鳥は迷うことなく路地へ踏み入った。



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