:: LS>>01-07




 ベファーモに止めをさした後意識をなくしたスピネルを、街道までシャンティエが背負ったこと。
 ウィアから戻る途中のマスターと偶然出会ったのとほぼ同時にシャンティエも気を失ったこと。
 魔物はマスターはじめ他のギルドメンバーが森まで出向いて回収、その後連絡を受けて帝都から訪れた騎士団によって収容されたこと。
 シャンティエはまる1日大人しく眠っていただけで済んだが、スピネルは3日間寝込んだうえ、数時間毎に起きては痛みに苦しみ気絶してを繰り返していたこと……。

 何一つ覚えていない事柄をアリシャから伝えられ、スピネルはかつて経験したことのない失態を恥じて枕に顔を埋めたくなった。が、それも最後に付け加えられた最重要事項の前に霞む。
 会議の結果、ギルド協会で決定した通達。『魔物の活発化・大型化が顕著なうちは、魔物の狩猟を2人1組以上で行うこと』。しかも、スピネルに関してはアリシャが父親に相談して勝手に当面のパートナーを決めた。その相手は、もちろん。



 「オレとじゃ不満なの? なんだかんだ結構いい線いってたと思うんだけど、オレ達」

 アリシャが出て行った部屋で、話を聞きながらリンゴを3つ腹に収めたシャンティエがうっかり掴んだオレンジの柑橘香に嫌な顔をしながら言った。

 「誰とも組みたくねえんだよ……」
 「決まったもんは仕方ないじゃん、メソメソすんなよ」
 「してねえよ……」

 食う?と放られたオレンジを投げ返し、ベッドに仰向けに転がる。微熱を感じた。身体がだるく、まだ本調子でないのが自分でよくわかる。

 「アリシャ、お前の横に付きっ切りだったけどさぁ……もしかしてふたり、恋人同士なの?」
 「全然」

 シャンティエの問いに動揺するでもなく首を横に振る。納得していない視線を向けられるが、気が付かない振りで目線を天井から壁に逸らして視界の端から彼の姿を消す。

 左足に食らったブレスは、神経系に強く訴えかける毒をはらんでいたのだという。受けた部位や広さによってはその場でショック死に至ってもおかしくないほどの強い毒。
 痛みに跳ね起きた覚えは全くないが、それが却って良かったとスピネルは思う。あの焼けるような激痛に何度も襲われたなど、考えただけで背筋がひやりとする。
 アリシャの目の下の隈を思い出す。シャンティエの言からしても、ほぼ寝ないで看病してくれていたのだろう。医者からは命にかかわるような毒ではないと説明されたにも関わらず。
 恐らく、かつての母の姿を重ねたのだ。思い至って、心臓を握られるような罪悪感にかられる。

 「ともかくさ。 オレも暫くここに厄介になるの決めたし。 これもなんかの縁だと思って、仲良くやろーぜ」

 差し出された手は「諦めろ」と諭してきているかのようで。握手を躊躇ったが、思考を巡らせてもどうにもならない現状を再確認しただけに終わった。

 (……仲良くはしねえ)

 譲歩した決意を虚しく胸にして、猫の手を握り返す。



 夜。
 酔いの回ったギルドメンバーや街の男連中に散々亜種討伐を賞賛され、スピネルはふらふらと酒場のカウンターにつく。大体顔馴染みではあるが、普段は挨拶以外に殆ど言葉を交わさないため、気疲れによってそこらの魔物と戦ったほうがずっとマシなほどの疲労を感じた。

 「納得いってない顔をしてるな」

 いつもの仏頂面に輪をかけて不機嫌そうな原因を察して、マスターが苦笑した。

 「まあね……」
 「でも2人でやって貰わにゃならんぞ」

 注文を待たず目の前に出された好物の果実酒に口をつける。

 「わかってるよ」

 スピネル達が倒したベファーモの亜種は、体長がおよそ平均の倍、吐かないはずのブレスを吐き、背面にもう1対の腕を持っていた。今まで報告された亜種の中でもかなり大きな変化を持っていた部類に入るのだという。
 大きさの違いだけで脚が竦んだ情けない事実を思い返して苦々しい気持ちになる。一人では倒すどころか打ちかかる事もできなかっただろう。
 今まで亜種を心のどこかで侮っていたのだと痛感する。もし独りだったら。情けなく逃げ帰ってくるのが容易に想像できる。
 それに、雑魚との戦いで見たシャンティエの立ち回りの素早さと正確さ、鋭い爪の殺傷力、そして異常な跳躍力。組むには申し分ない実力の持ち主だと理解はしている。
 頭ではわかっているのに、心の奥底が誰かと連れ合う事を拒否する。仲間なんていらない。誰かと関わりたくないし知り合いたくもない。
 フロアにアリシャの姿はない。スピネルの目覚めた昼に雑炊を拵えた後にダウンし、自室で久しぶりの睡眠を取っている。徹夜もあるが、気を揉んだ精神的な疲れのほうが体にきたらしい。

 結局、最後にスピネルの意地を折ってシャンティエの手を握らせたのは、隈の浮いた顔で笑顔を繕う彼女の表情だったのだ。

 スピネルは唇を噛んだ。頭の隅で未だ燻る記憶を消し去りたい。消してはいけない。心を蝕む矛盾に苛まれる。

 「仲間はいいぞ」

 マスターがどこか遠くを見つめながら目を細めた。昔を懐かしんでいるのだろうその瞳がひどく眩しく感じて、スピネルは視線を手元に落とす。
 あの日、アリシャの母が大蛇の毒に蝕まれてから、この人はそれまでギルドマスターでありながら精力的に参加していた狩猟を一切やめ、引退を宣言してマスター業に専念するようになった。
 今では当時の仲間も引退し方々に散っているが、未だ互いに手紙でやり取りするなど繋がりはあるらしく、妙なツテやコネを持っていたりするのだ。
 彼の心の内には、当時の思い出が輝きを放つまま残っているのだろう。

 「俺は苦手だよ」
 「苦手じゃなくて知らないんだ、ずっと独りでやってきたんだからな」
 「……」

 優しく諭すような口調に何も言い返せず、黙って果実酒を煽る。

 「いい機会だと俺は思うぞ。お前にも味わってほしいんだよ……特に若いうちに、仲間と共に後ろも省みず突き進む楽しさを」
 「……今日はやけに喋るな」

 義父が果実酒を継ぎ足そうとする手を軽く制す。

 「そういう日もあるさ」

 あの日から五年余り。
 性格が逆転したように寡黙になった時も、父さんと呼ぶのをやめた時も、片手剣を棄て斧槍を使うようになった時も、十三歳という幼さにも関わらず突然依頼を受けたいと言い出した時も、初めて狩猟で金を受け取ってからは今後部屋代を支払うと言って聞かなかった時も。
 義父義妹という関係から目を背けようとしていたのは外から見ても明らかだったが、その行動を咎めもせずにただ見守られてきた。こんなふうに内面に触れる話題を振ってくる事も殆どなかった。
 それ故くすぐったさと居心地の悪さとが綯い交ぜになって、気持ちを隠すようにグラス半分残った果実酒を一気に飲み干した。
 幼いうちにおいた距離は、変わらずスピネルと父娘の間に横たわっている。どう接していいかわからなかったのだ。アリシャから母を、マスターから妻を奪ったのは自分だと、森へ行こうと誘うアリシャを止めていればよかったんだと、自責してきた五年間。
 アリシャはもう振り返らずに前を向いている。マスターだって。それも重々感じていた。自分だけが、過去の過ちに囚われて。
 スピネルは酒代をカウンターに置くと逃げるように席を立った。宴席から呼ばれる声にも応えず、顔を伏したまま足早に階段を上る。


 あの日から五年、片時も目を離さず見守ってきたが、いつの間にここまで大きくなったのだろうか。愛息子の背中を見送りながらマスターが目を細める。
 身体は大きく育ち、腕っ節も自分の若い頃を重ねる程に強くなった。それ故に、未だ殻に閉じこもっている姿を見ているのが歯痒く感じる時が度々ある。
 落ち込んでいる時の背中は幼い頃の小さなそれと同じだ。息子の心のその部分だけは、成長どころか全く癒えていない。時間が解決するのがいいだろうと無言を貫いてきたが、早く外の世界を見て欲しいと焦れてしまうのは親のエゴか。
 カウンターの内側に置いた小さな写真立てに目をやる。アリシャと同じ亜麻色の、長く伸ばした髪をサイドで結った美しい女性。腕に抱いた幼い娘は、その姿に年々似通ってきている。

 「まったく、子育ては難しいな」

 写真の中の妻に語りかける。
 妻の後ろに身を隠しながら指を咥える男の子に視線をやって、目を細め微笑を浮かべた。



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