:: LS>>01-06




 物心ついた後に親を亡くした少年と、ひとつ年下の少女、少年を引き取り肉親のように接してくれた少女の両親。
 少女の11回目の誕生日。仕事でなかなか家に戻らない父への反抗と、「もう一人前なんだ」という子供特有の無謀な自立心から、少女は街の外に鎮座する森への探検を言い出した。
 少年はすこし躊躇したが、結局乗り気で同行を決めた。誰も踏み入った事のない森の奥に眠るという宝石の御伽噺。少女に贈るにはうってつけだと考えた。師範でもある義父に褒められるほどの片手剣の腕にも自信があった。
 弁当など拵えて、お遊び気分で、ろくに計画も立てずに街を飛び出した。
 とはいえ、少年も少女も、はじめは深く踏み入るつもりはなかったのだ。
 木のうろに小動物の棲家を見つけ、小川のせせらぎに耳を傾けながら昼食を摂って、木漏れ日の抜け道を駆けて。幼い好奇心、冒険心は底なしだった。もっと奥へ、と少女の言葉。初めて小型の魔物を倒して有頂天になっていた少年も迷わず頷いた。
 踏み込んですぐ、大きい何かを引きずるような不気味な音にふたりは身を竦ませた。
 振り返った先にうねる大蛇。子供2人くらいなら簡単に丸呑みしてしまうだろう大きな顎門と、辺りの木よりも太い胴体。はべらせた数匹の、それでも大人の腕ほど太い蛇を必死で薙ぎ払いながら、ふたりは無力な子ウサギのように逃げ惑った。それも長くは続かず、やがて露出した木の根に足をとられた少女が草の絨毯に転がる。
 大蛇の鋭い牙が襲ったのは、少女の前に両腕を広げかたく目を瞑って立つ少年ではなく、背後から躍り出た少女の母親だった。その肩口に噛み付くのと同時に投げ込まれたナイフで舌を切断された大蛇は、咆哮をあげて残りの取り巻きを引き連れ深い茂みへと逃げ去った。

 元々体の丈夫でない義母が毒に打ち勝てずとうとう息を引き取ったのは、その日から丁度1ヵ月後の事。

 誰も責めはしなかった。受けるのは同情の視線ばかり。義父でさえも少年を疎まなかった。
 周りから向けられる優しさ、差し伸べられる手。それが余計に少年を打ち据えた。いっそ詰って、罵ってくれればいいのにと、何度もベッドの中で独り泣いた。
 褒められていた剣の腕も、所詮年齢にしては上等な出来だっただけ。
 自分の思い上がりが招いた悲劇。

 それが真実なのに、知っているだろうに、どうして皆優しくするの?

 快活だった少年から笑顔が消え、最低限の言葉しか口にしなくなった。更に哀れみと慈悲が襲い来る。人を避けた。優しく見守る周囲の目線に日々怯える。
 魔物を狩る。命すら顧みずに討伐し続ける。受けるのは賞賛。いっそ殺してくれと願いながら強烈な憎しみと殺意を叩きつけるように振るう斧槍は実力以上の威力を持って数多の魔物の血を吸った。大人からは感謝を、子供からは尊敬の眼差しを向けられる。心の軋む苦痛にのた打ち回りたくなる。更に魔物を憎み殺せば殺すほど、空回り、空回り……





 「――――ッ!!」

 意識がはじけるように覚醒する。零れ落ちそうなほど見開かれた眼は見慣れた天井を捉えて瞬いた。

 自室にいる。

 まだ動きの鈍い頭で理解して、忘れていた呼吸を取り戻す。寝巻きの背中にじっとりと染みた汗がたまらなく不快で、スピネルはのろのろと上体を起こした。
 ベッドから降りようと床に足をつけた刹那、ブレスを受けた痛みがフラッシュバックする。

 「うッ、……」

 左脚に覚悟した痛みは走らない。恐る恐る足を上げ下げしてみるものの、足の裏に冷たい床の感触を覚える以外に特別な感覚はなかった。
 サイドテーブルに置かれた氷の浮かぶ水差しを手に取って、伏せられたコップに注ぐのももどかしく、そのまま唇をつけて口内へ流し込む。冷えた水が、張り付くほど乾いた喉に心地よい。
 氷だけを残して全て飲み干し、水差しを元の場所へ置いて目を伏した。軽く頭を振って、脳裏に焼きつく残像――義母の最後の表情を打ち消す。
 みっともなく叫んで飛び起きる事はもうなくなった。けれど未だに夢に見る。魘され、恐怖と絶望とどうしようもない愛惜と共に目が覚める。

 ……そうでなくてはならない。

 忘れてはいけないのだ。無理やり口の端を吊り上げて、自嘲する。

 「……スピ?」

 不意に響いた控えめなノックの音と細い声に表情を戻し、短く返事をした。途端に勢いよくドアが開く。ベッドの端に座るスピネルの姿を見たアリシャが、目を見開いて絶句する。

 「お父さん! スピが起きた!!」

 階下へ向かって叫んだ。ベッドに駆け寄って、

 「大丈夫!? もう痛くない?」

 眉尻を下げ今にも泣き出しそうな顔で、自分とスピネルの額に手を当ててみたり、ベッドに寝かせようと肩を押してくる。いつも勝気な少女のいつになく殊勝な様子に、ふと張り詰めていた気が緩むのを感じた。もう平気だ、とアリシャを手で制す。

 「あいつは、――……」

 毀れた言葉に、自分で驚いて口ごもる。

 「呼んだ?」

 シャンティエがドアから顔を覗かせ、スピネルとアリシャの顔を交互に見てにやにやと笑った。室内に入って椅子に腰掛け、籠に入ったリンゴを手に取り勝手に噛り付く。

 「……どこも折れてないのか?」

 強烈な一撃をまともに食らったのが嘘のようにピンピンしているシャンティエに目を凝らす。

 「わりと丈夫なんでね。アリシャの看病もあったし」

 その上腕や脇腹には戦いの跡が青痣となって残っている。部位を動かすだけでひどく痛みそうなものだが、気にする素振りを見せない。猫は痛覚が鈍いというが、それは彼にも当て嵌まるのだろうか。

 「でも、ティーは帰ってきてから丸一日寝てたのよ」
 「ティー?」

 聞き慣れない呼び名にスピネルは眉を寄せた。

「シャンティエじゃ呼ぶには長いもん。ねー?」
「ねー」

 朗らかに笑い合うふたり。さっきまでの混乱していた様子はもうなく、いつも通りに振舞うアリシャの目の下には、うっすら隈が浮いていた。



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