:: LS>>01-05




 荒野のど真ん中の街から東を目指すと、幾らも行かないうちに地平線から森林の頭が覗く。
 高木が立ち並び、奥の方では木々に太い蔦が絡んで陽の光の殆どを遮ってしまう。スピネルは専らここでの狩猟を生業としているため馴染みの場所であるが、頭の中に地図があるのは全体の2割程度に留まる。南北に広がる森は広大で、北のほうは樹海のように鬱蒼としているため、用事でもない限り踏み入らないようにしているのだ。
 木々は街中に生えているようなものと比べると二倍近く背丈があり、それなりの太さの幹から数多の枝が突き出ているせいで上のほうがよく見えないものも存在する。小型の小賢しい魔物はその上から奇襲を仕掛けに降ってくる場合もあるし、同じようにやたらと背の高い植物が寄せ集まった茂みから飛び出してくる事もある。



 鶏を大きく醜悪にしたような姿の魔物が、鳥を絞めた声を歪めて伸ばしたように耳障りな声を上げながら吹き飛んだ。スピネルの斧槍に胴体を叩き切られたそれは半身をほぼ皮一枚で繋いだだけで、地面に落ちて見苦しく痙攣した後に息絶えた。『グァガ』と呼ばれる、この辺りではごく普遍的な魔物。周囲に散らばる同種の魔物も同じような様相でもうぴくりとも動かない。
 スピネルは顔についた魔物特有の青紫の血を荒々しく拭って振り返る。視線の先、少し離れた場所でシャンティエが最後の一匹の腹を爪で引き裂いた。血と内臓を散らしながら錐揉みして落下する。彼の周囲の血だまりにも、魔物だったものたちが幾つか沈んでいる。

 「べっ……口ん中入った! 気持ちわりぃ……」

 シャンティエは顔を歪めて、青紫色混じりの唾を吐いた。スピネルもつられて顔を顰める。

 「川で休もうぜ。 口濯ぎたい」

 そう言ってシャンティエが指した藪の方角には、確かに小川が流れているのをスピネルは知っている。ここからそう遠くないとはいえ、そのせせらぎはスピネルにはまだ聞こえないのだが。
 細い獣道を分け入る。いくらも歩かないうちに、脚をいっぱいに広げれば跨いでしまえるほどのささやかな水の流れに行き当たった。

 「おお、キレイじゃん!」

 言って、シャンティエは手の体毛にこびりついた血を洗い流す。スピネルはちらりと横目でシャンティエが水を飲む姿を盗み見たが、外見通り猫のように舌で水を飲む、というわけではないようだった。普通に両手で掬って、がぶがぶと飲んでいる。手の形状から、人より多量の水を掬えるようだ。思い返せば、朝食の時は普通にコップを使ってミルクを飲んでいたかもしれない。
 スピネルもグラブを外して手を濯ぐと冷たい水を掬い上げて喉に流し込んだ。乾いた喉を潤し、戦闘で火照った身体の隅々まで行き渡るような清涼感にひと息つく。

 「そういえばさー、目当ての魔物ってどんなやつなの?」

 川べりに座り込んだシャンティエが訊く。スピネルも休憩がてら手近な岩に腰掛けた。

 「体長は大体俺の倍。 ヤギみたいな頭に目が2対、腕が4本。 一撃は重いが遅い。 避けるのは大して難しくない」
 「じゃ、オレはやりやすい敵ってわけだ」

 得意げに尻尾がうねる。確かに、重たい斧槍を振り回すスピネルよりも、素早い動きで敵を翻弄しつつ攻撃を加えていくシャンティエのほうが相性のいい敵だろう。
 だがスピネルは首を横に振った。

 「お前はどこか遠くで見てろ」

 ぞんざいな言葉にシャンティエが身を乗り出す。

 「何で!? オレも戦うし!」
 「邪魔なんだよ、わかってんだろ」
 「どっちがだよ……」

 先ほどの戦いぶりは個人ずつで見れば歴戦を思わせる無駄のない動きばかりだったが、共闘するにはあまりにも噛み合っていなかった。
 はじめはすぐ近くで背を向け合い戦っていたのが、シャンティエの爪がスピネルの頬をかすめ、スピネルの刃がシャンティエの脇腹を薙ぎかけて、あわや相打ち。お互いに魔物そっちのけで相手を殴りつける一歩手前の形相で睨み合い、無言のまま二人は徐々に距離をあけていった。

 「大体、そんなブン回すだけの間抜けな武器使ってるからいけないんだ」

 シャンティエが唇を尖らせ、地面に置かれた槍斧を爪の先でカツンと小突く。

「チョロチョロうざってーんだよ」

 スピネルは槍斧を手前に引き寄せて呟いた。

「……」
「…………」

 互いに顔を小川に向けたまま、棘のある沈黙が流れる。

「……そもそも、慣れきった相手なのに何でお前と報酬を分けなきゃいけねえんだよ」

 溜息混じりにスピネルが言った。今回の獲物は、過去何度も狩猟した事のある単独行動型の魔物だ。たまにコバンザメを連れている事もあるが、その場合の立ち回り方もきちんと頭の中に入っている。むしろ慣れない二人での狩猟のほうが余程不安要素だ。

 「アリシャの言うことに逆らえんのー?」
 「……」

 どうせ無理だろうという揶揄するようなニュアンスが含まれた言葉に沈黙で返す。ギルドでの立場というよりはアリシャ個人との力関係で逆らえない色が強いのだが、シャンティエの言い方からして、ごく短い間にそれを見抜かれているようだ。

 「行くぞ」

 頭に浮かんだ、強い力を持った彼女の笑顔を振り切るように弾みをつけて立ち上がる。身体に回したベルトに槍斧を戻そうとして、やめた。魔物の縄張りはもう近い。



 小川を上流へ辿り、森の更に深くへと進入していく。
 天を覆う蔦や枝葉の嵩が増え、所々射す陽光が地面に光を落としている。湿度が高くじめじめとぬかるみ始めた足元を慎重に踏み歩む。
 徐々に生き物の気配が濃くなってきているのを感じた。森に棲むのは魔物ばかりではなく、様々な動物の混ざり合う気配が魔物の殺気を覆い隠してしまうのだ。横を歩くシャンティエも尖った耳をあちらこちらに向けて物音を探っている。
 不意にシャンティエが立ち止まり、腕でスピネルの歩みを制した。

 「その魔物ってさあ、何か……シューシュー鳴いたりする?」

 スピネルは眉根を寄せ、魔物の姿やその特徴を思い起こす。

 「呼吸は煩いほうだな」
 「それかなぁ……。 こっち、」

 念のため耳を澄ませてみるが、やはりスピネルにはそのような音は聞こえない。少し迷うが、小川の方向を探り当てたその耳を信用する事にして、右の方向を指したシャンティエの後に付いて獣道を掻き分ける。
 少しして、ようやくスピネルの耳にも魔物の息遣いが届いた。まるで蒸気を噴くような荒々しい呼吸。
 相手はもう程近い。足元の障害物やぬかるみをものともせず進むシャンティエに何とか追いつき、襟首を掴んで立ち止まらせる。

 「待て。 取り巻きがいたらどうする」
 「いないよ、今一匹だね」

 確信を持った声色で焦れたようにシャンティエは言い切った。顔と体はスピネルを向いているが、耳は大きく倒されて背後の物音に欹てられている。

 「とにかく、初手は俺にいかせろ。 いいな!」

 襟から手を離すと、返事を待たずにスピネルは駆け出した。

「あ、ちょっと! 待てよー!」

 不意を突かれたシャンティエが少し遅れて続く。
 低い息遣いがすぐそこまで近づいているのを感じた。手の中の斧槍を握り直す。
 目の高さを覆う藪に左腕を盾にして突っ込み、葉を振り払いながら抜けた。鬱蒼とした森の中、不自然なほど広く切り取られたような空間が現れる。
 次いで目に飛び込んできた異形に、スピネルは身を竦ませるように動きを止めた。

 (―――でかい!?)

 此方を向いて身体を折りたたむように座り込んだ魔物の高さは、その状態で既にスピネルの身長の倍はありそうだった。離れた位置にいるが、此方の気配に気が付いたのか緩慢な動きで身体を起こしていく。呆然と見守る中とうとう二本の脚で立ち上がった魔物の背丈はスピネルのおよそ三倍以上。
 別の魔物、ではない。全身を覆う短い剛毛の下に盛り上がった筋肉、ウエストが異常に細い逆三角形の上体に太く短い脚。目が二対ついたヤギのような頭、腕は四本。ヤギそのものより大きく裂けた口を開き、涎を散らしながらおぞましい咆哮を上げる。
 紛うことなく、今回の獲物『ベファーモ』だ。

 「何ボーっとしてんだよ!」

 立ち竦むスピネルの横を藪から抜け出たシャンティエが風のように駆け抜け、魔物との距離をあっという間に詰めていく。我に返ったスピネルも、斧槍を構えていつもより慎重すぎる速度で接近を試みる。
 ここまで巨大な魔物の相手はしたことがない。どう見ても、相手は亜種だ。外見上の違いはその大きさだけ、たったそれだけしか違わないのに、脚が震えそうになる程怖気づいている自分がいる。
 ベファーモの正面、そのすぐ足元まで近づいたシャンティエに真上から巨大な右拳が振り下ろされる。地面を蹴って横に避けるが、そこへ対の左手が平手で打つように襲い掛かった。

 「ッ! ぶねッ」

 再び地面を強く蹴り、後方へ宙返りをしてかわす。髪の端を魔物の指先が掠めた。着地に隙は見せずに、地に足をつく動作に続けて魔物の横手へ駆け出す。
 それを追ってベファーモの双眸がシャンティエを注視している隙に、スピネルはその反対側、魔物の左足へと走った。得物をいつも以上に強く握り、振りかぶりかけたところで、もう一対の目がぎょろりとスピネルを睨む。

 「……ッ!」

 咄嗟に攻撃をやめ、飛んできた拳を柄で受ける。太い金属の棒が僅かに撓み、掌に伝わる強烈な衝撃に顔を歪めた。到底受けきれない。判断して、背中から地面に倒れ込み拳を受け流す。
 身体を反転させてすぐに起き上がり、追撃の前に魔物から距離を取る。二対の目が別々に物を見て判断できるとは、独りでしかベファーモの相手をした事のないスピネルには今まで知り得なかった。
 それだけではなく、いつもより明らかに攻撃スピードが速い。四本の腕を持っていても大した脅威でなかったのは川辺でシャンティエに語った通り動きの鈍さによるもので、焦らず隙をついて攻撃を加えていくのが常套手段なのだが、この速度ではそういうわけにもいかなさそうだ。
 後ろに回り込む事を断念したシャンティエも、代わる代わる襲い来る三本の拳をかわしつつ魔物と間合いを置くべく一旦退がる。ベファーモから視線を外さずにスピネルの近くに後ずさった。

 「目潰し」
 「ああ」

 シャンティエの短い言に頷いた。魔物はどちらの獲物を狙うか悩むように二対の目を行ったり来たりさせながら、のろのろと一歩ずつ近づいてくる。腕の動きは格段に早いが、脚の遅さは変わっていない。

 「下の腕、引き付けてくんない?」
 「わかった」

 提案するシャンティエの考えはわからないが、再度頷いてスピネルは魔物の正面に向かって駆け出した。途端に遅い来る下段の両腕を順番にかわす。はなから攻撃を捨てていれば、決して避けられない速度ではない。
 遅れて地面を蹴ったシャンティエを掴もうと、上段の手が開かれたまま動き出す。
 スピネルの背後から、ずだん、と音が響く。信じられない跳躍力で亜人が空を舞った。スピネルの頭の高さなど後ろから軽々と飛び越すが、魔物の目にはあと少し、届かない。

 「よっ、」

 その細い胴を捕らえようと横から振りかざされた巨大な手に軽く片手をついて身体を一回転させると、魔物の大木のような腕に飛び乗る。

 「……いしょッ!」

 反対側から迫る壁のような掌を、更に跳躍してかわした。スピネルとシャンティエ両方を追う魔物の腕の動きが一瞬止まる。シャンティエはくるくると前に二回転してべファーモの顔に飛び掛り、振りかざした両手から伸びた爪で相手の眼球を抉り出そうと―――

 「駄目だ避けろ!!」

 スピネルが叫ぶ。
 魔物の背後からあるはずのないもう一対の腕がぬっと現れ、その右拳がシャンティエに襲い掛かった。空中では咄嗟に避ける術もなく、拳は吸い込まれるようにシャンティエの胴を捕らえる。
 ぐぎゃっ、と潰れる様な声を吐き出し、軽い身体は簡単に後方へと吹っ飛ばされた。木の幹に叩きつけられ、地べたへ落ちる。

 「くそ……ッ」

 シャンティエを打ち据えた拳は反対の腕と共に魔物の背後へと仕舞われ、元の四本の腕がスピネルだけを狙って動き始めた。避けるのに集中しても、長くは集中力が持ちそうにない。一度退かなくてはと後ずさりしようとしたその頭上から、べファーモ特有の息遣いとも違う、喘息の発作を低く重くしたような不快な音が響く。
 見上げると、身体を逸らして思い切り息を吸い込んだ魔物の四つの目がぎょろりと見下ろしてくる。スピネルはバランスを崩すのも構わず右方向へ飛んだ。刹那、ベファーモの口からブレスが吐き出される。

 「……ッ!! ぐぁぁあッ」

 濃い黄土色の霧が左足首から下を掠めた。服と鎧越しにほんの少量を浴びただけだというのに、灼熱の痛みを伴う痺れが一瞬で脚全体を包む。堪らず地面に転がり左脚を抱えた。

 (畜生! こんなの知らねえ……ブレスを吐く魔物なんざこの辺りにはいない筈だろ!?)

 激痛に身悶えながら心の中で毒づく。
 追撃を覚悟したが、ベファーモはスピネルから身体を逸らしてゆっくりと移動を始めた。何とか首だけ動かしてその方向を見やる。魔物の進行方向の先で、シャンティエが崩れ落ちたままの場所で蹲りひどく咳き込んでいる。
 麻痺性のブレスで動きを封じたとみなした人間より、未だ動くことのできそうなもう一方を狙おうというのか。
 魔物の分際で。
 スピネルは歯噛みし、脇に転がった斧槍を掴んだ。左脚を庇いながら身体を起こして、刃を垂直に振りかぶり、ずるずる地面に線を描く魔物の尾に叩きつける。
 バツンと音を立て、成人男性の腕ほどの太さの尾が切断され弾き飛んだ。半分の長さになった尾が左右に大きく振られ、吹き出た血液がスピネルの顔を汚す。
 ベファーモの、大地を揺るがすような咆哮。シャンティエは顔を上げ、ようやく自分のほうに向かっている魔物に気が付いた。その向こうで片膝を付き痛みに顔を歪めるスピネルを一瞥して、片手で脇腹を抱えるようにしながらふらふらと立ち上がる。唾と共に、口内に残る吐瀉物の味を吐き出す。
 魔物は尾を切ったスピネルの方へは向き直らず、再びシャンティエへ歩み寄り始めた。切断面の血はもう止まりかけている。ベファーモは痛覚が鈍いらしく、効果的な部位に傷を与えなければ足止めは難しい。首か心臓を狙うのが常道だが、スピネルの斧槍はそこまで届かないだろう。
 シャンティエは一度片膝を付いて地面から何かを拾い上げ、ふらつきながらも魔物を迎え撃とうと近づいた。といっても、スピネル同様相手の四本の腕をかわすのに精一杯で攻撃に手は回らない。脚だけを使って、振り下ろされる拳を避けていく。
 その塞がった両手に湛えられたものに目を凝らし、スピネルは斧槍を地面に付き立て寄りかかるように立ち上がる。

 「う……ッ、ぐ……」

 左足が軽く地面に触れるだけで爪先から脳天へと突き上げるような痛みが襲う。呻きを洩らし、額に脂汗を滲ませながら少しずつ魔物の背後に近づいていく。一歩ごとに、目の前を星が飛んだ。
 スピネルの接近に気が付いた魔物が一瞬動きを止める。その隙をついてシャンティエが跳んだ。魔物の上肢に片脚で思い切り体重をかけて、もう一度跳躍。

 「うりゃッ!!」

 今度は後方へ飛びながら身体を半回転させ、両手いっぱいに汲んだぬかるみの泥を魔物の目元へ思い切り叩きつける。先刻と同じようにシャンティエを吹き飛ばそうと現れた三対目の腕も動きを止めた。他の四本が不器用な手つきで目を覆う泥を取り去ろうともがく。

 「―――う、ぉぁぁぁああああッ!!!!」

 雄叫びながら、スピネルは斧槍を振りかぶった。左脚にも容赦なく体重がかかり、激痛に視界が赤く染まった。身体を大きく捻り、遠心力を借りて、太く短い脚に刃を叩き付ける。
 忌々しげに咆えながら、魔物は仰向けに倒れ込んだ。足首の半分まで食い込んだ斧を引き抜き、魔物の頭へ回り込んで真っ直ぐ頭上に斧槍を振り上げた。魔物が再び大きく息を吸い込み、口を開いたのと同時に、刃先は喉を捕らえた。
 見開かれる四対の目。口からはブレスではなくどろりとした青紫色の液体が溢れ出た。槍斧の鍔に右足をかけ、弾みをつけて全体重を乗せる。骨を砕く感触が怖気と共に身体に伝わり、魔物は全身を震わせ、やがてその瞳から光が消えた。

(やった……のか)

 気の緩みと共に身体の力が抜け、視界が暗転する。



<<>>