関わりたくない。繋がりたくない。
人が嫌いだ。こんな俺にも優しくしてくれるから。
***
街まで帰り着いたのは夕日が沈むのとほぼ同時、予定から半刻ほど後だった。
この街のギルド兼酒場『ソゥルーナ』。スピネルは店の入り口すぐ、階段脇のギルドカウンターの前から、亜人――当人は『シャンティエ』と名乗った――を睨めつけた。本人はそんな視線などつゆ知らず、四人掛けのテーブルに所狭しと並べられた大皿料理に、取り皿も使わず一人でがっついている。次々に空皿を重ねていくその姿は、程よく酔いの回った他の客たちの格好の肴だ。
調子のいいもので、スピネルに担がれている間ずっと気を失っていたくせに、いざ街に着いて食べ物の匂いを嗅ぎ取った途端に跳ね起きたのだった。彼の腕は猫のそれと同じように見えるが、器用にもフォークやスプーンを掴む事はできるようだ。
スピネルは視線をシャンティエから外した。獲物の討伐報酬を受け取るために、書式の決まった簡単な報告書を記す。
カウンターの向こうに置かれた、ここまでスピネルが背負ってきた袋の中身を見やる。こちらを向いた大きな魔物の頭。濁った瞳に光はなく、どこか虚空を見つめている。この魔物の額に生えている一対の太い角が依頼者の欲する物らしい。
さほど丈夫でなく防具に付けるには不向き、毒や薬として何かに効果があるわけでもない。依頼者の素性や依頼理由は知らされないのが常だが、無傷で持って来い、できれば頭部も、という注文からして、恐らくは金持ちの観賞用だろう。剥製にでもして飾りつけるつもりか。
どこから涌くのかもわからない魔物どもに同情する気持ちはない。仮にこの魔物が動物達と同じ方法で繁殖していようとも、かわいそうだなどと思わない。それより、報酬額の大きさだけで仕事を選び、金持ちの道楽のための仕事だと後から気づいた自分に嫌気がさす。
「あの子、よく食べるね」
布袋を乗せたトレーを持ってカウンターの奥から現れたのは、マスターの一人娘・アリシャ。
スピネルは返事ひとつせず書類の末尾に魔物の俗称と自分の名前とを記すと、トレーから袋を受け取り、中身を出して金の勘定をし始めた。書類にあった、相場より高めの値段と相違ないか確かめる。
長い付き合いの中でそのつれない素振りに慣れているとはいえ、アリシャは眉間に皺を寄せずにはいられない。
店とギルドの看板娘である彼女は肩までの亜麻色の髪を揺らし、エプロンドレスを纏った一見可憐なお嬢さん風の外見だが、内に秘めた性格は強気で豪胆、面倒見がいいのを通り越してお節介の塊のようなのだとスピネルはよく知っている。腹を空かせて息も絶え絶えなシャンティエを見て事情も聞かずに厨房へと引っ込み、スピネルへの報酬の手続きなどそっちのけで調理に加わったのはついさっきの出来事だ。
アリシャは喉まで出掛かったスピネルへの文句を飲み込んで、酒場に視線を向ける。
「私、亜人って始めて見た」
「いつもの」
彼女の呟きにも返事せずに注文だけして、金銀銅貨を袋へ仕舞う。書類を突っ返すと、衝立一枚隔てた酒場のカウンターへ回って、一番端のスツールに腰掛けた。
南に現れた新大陸『ウル』に住まう者たちは、人間に似た姿のどこかしらに獣の要素を持つのだという。この大陸『エゼル』の人々は彼らを亜人種、あるいは亜人と呼ぶ。好奇心旺盛な者が多いのだそうで、最近では大陸南部でその姿を見るのもそう珍しい事ではないらしい。
スピネルが住むこの『スティタ』の街は大陸中北部に位置しており、南部の港町とは直接街道で繋がってはいない。観光名所や特産品があるわけでもないただの田舎の街、遠路遥々よその大陸からやってきてわざわざこの街に立ち寄る用事などそうないはずだ。
ならば何故、シャンティエはここにいるのか。
(どうでもいい)
スピネルは思考を投げ捨てた。どうだっていいし、知りたくもない。『暮らすのに余計な人間とは関わり合いにならない』、それが彼の信条だ。
「それで? あの子どうしたの?」
それを知っているくせに、厨房から紙の包みを持ってきたアリシャは瞳に興味の色をいっぱいに輝かせながら訊いてきた。
「落ちてた」
シャンティエへの質問を鬱陶しがる態度を隠しもせずに言って、包みを受け取ろうと手を伸ばす。彼女は腕を上げてそれをかわした。
「行き倒れってこと?」
「知らねえよ。 いいから、」
「あ、ひょっとして」
よこせと言い終わる前に、アリシャは黙って包みをスピネルに押し付けると小さな扉からカウンターを出て行ってしまう。そのままシャンティエのテーブルに寄って行く。
スピネルは布袋から紙の包み――中身は好物のバゲッドサンドだ――の代金分の硬貨を取り出してカウンターの上に置くと、スツールから降りた。店の出入り口近くの階段へ足を向ける。と、細い指がその肩に絡んだ。
立ち止まって振り向くと、天使のような笑顔と向き合う。スピネルは、アリシャのこの表情が正直苦手だ。
「あの子、お金持ってないわ」
台詞の示す事態とは裏腹に、恐ろしく柔らかい声色。しかし、その指には彼を逃がすまいとする強い力が込められている。呼び込んだお前が金払え、と滑らかな頬にでかでかと文字が書いてあるように見えた。
何もそこまでしなくとも、自分の住んでいる場所も懐具合も心得ているだろうに。スピネルは大きく溜息を吐いて彼女の指を剥がした。身体を翻すと、ずかずかとシャンティエへ近づく。ばぁん、と音を立て、テーブルに強く手をついた。
ばつが悪そうに苦笑するシャンティエの耳は叱られた子猫のように横に大きく伏せられている。卓上に目をやると、食い散らかされた皿の他に散らばるものがいくつか。硬貨の類だろうか?小さく扁平な円形の金属が数枚、袋から出され散らかっている。銀貨や銅貨のようだが、帝国に普及している硬貨とは違うものだ。
「ここの金と換えてもらうの、忘れてた」
「……」
返す言葉が見つからずに黙ったまま2人見詰め合っていると、テーブルのすぐ横にアリシャが立った。崩れぬ微笑を湛えながらスピネルに向けた伝票には、この酒場で飲み食いするとして、酒を抜きにしても大人七、八人前相当の金額が記されている。
「勘弁してくれ」
「やぁね、スピが持ち込んだ問題よ?」
スピネルはふと、自分たちが店中の視線を浴びている事に気がついた。アリシャと彼の力関係をよく知っている客たちは、酔いに任せて酒瓶やらを振りながら、「そうだそうだ」などとアリシャに加勢している。さっき受け取った報酬額と比較して、そこまで大きな金額というわけでもない。だからこその断りにくい状況。眩暈がするような気持ちで、スピネルはポケットを探った。
「…………引いとけ」
唸るように言って手にしたばかりの報酬の袋を差し出すと、アリシャはそれをうやうやしく両手で受け取る。
「まいどッ」
街の人々から愛くるしいと評される顔でとんでもなく可愛くない答え方をして、彼女はさっさとカウンターへと引っ込んでいった。
項垂れるスピネル。今度は観衆から「いいぞいいぞ」と歓声やら口笛があがった。
まったく、無責任な大人達ばかりである。